ドラクエ11とエンドゲームの比較から、ひとつの未来に収束していく時間について

 ふと語りたくなったので、ドラクエ11とエンドゲームの比較から、時間モノのSFについてのお話です。

 時間モノSFって「残酷」「悲しい」という感想もよく挙がるけど、私はそれも含めて「ロマン」だと思うので好きなんですよね。



※以下、両作品のネタバレ含みます



 私がドラクエ11をプレイしたのは2017年、発売してすぐでした。
 エンドゲームどころかインフィニティウォーもまだ公開してなかった頃ですね。

 もともとドラクエシリーズが好きだったこともあって、随所に挟まれるイースターエッグ自体面白かったのですが、なにより過去へ行って未来を変えるというくだりにめちゃくちゃ興奮しました。
 真エンディング、セニカが過去を変えたことによりドラクエ3の世界線への繋がりが示唆された時は、特にわくわくしましたね。
 3といえば、ロトシリーズの1作目。おまけに真エンド特典で1を無料ダウンロードできたじゃないですか。
 時系列としては3→1→2ですが、やはり発売順の1→2→3でプレイすると、アレフガルドって、もしかしてこれって繋がってる一つの世界だったのか!?ってなって、また1と2がやりたくなるんですよね。
 このつくり、本当にうまい。
 後付けでもなんでも、こういうサプライズは嬉しいです。
 エンドゲームでも過去作との結び付きがすごく好きでした。

 とはいえ、タイムトラベルものにパラドックスはつきもの。
「過去を変えたことでもとの世界はどうなってしまうのか問題」に対して、私は当初パラレルワールド派でした。

 つまり、

  • ベロニカを失ったままウルノーガを倒した世界
  • ベロニカを生かすため主人公が過去に戻り、ベロニカともにウルノーガやニズゼルファを倒した世界
  • セニカがさらに過去へ戻りローシュを救ったことで、ウルノーガもニズゼルファも主人公が生まれる頃にはいない世界

 この3つの世界線がそれぞれ生まれるだろうと思ってたんです。

 さらに、真エンドでセニカとローシュの再会後、3の世界へ繋がるので、もしかしたらここで分岐がおきて、

  • ローシュ生存ルート→123のロトシリーズ
  • 主人公だけが過去へ行き、残されたカミュたちが受け継いだ世界→456の天空シリーズ
  • 主人公が過去へ行き、ニズゼルファを倒した後の世界→新たな三部作の序章

 だったりするのかなとも考えてました。

 ところがこの説は、公式イベント、ネタバレイトショーでシナリオの堀井さん自身が否定されましたね。
 否定というか「それぞれのご想像にお任せする」と断られたうえで、「主人公が過去へ行ったあと、元の世界はどうなったのか?」という質問に対し、「歴史はひとつにまとまっていく」と答えられてました。
 だから過去で再会した仲間たちの「こんなことがあったような…」というセリフのとおり、かすかに彼らにも改変前の記憶があるという描写がされていたようです。

【参考】

 でもちょっと待ってください。
 それじゃあセニカがもっと過去へ戻っていたけど、それはどうなるんでしょう?
 歴史がひとつにまとまっていくんだとしたら、ローシュが生き残り、ローシュとセニカによってウルノーガもニズゼルファも倒されたことで世界は上書きされ、主人公たちの冒険が無かったことになってしまうのでは?

 ……そこでエンディングの赤の本と緑の本が関係するのではないか、とも言われていますよね。

 エンディングで3主人公の母と思われる女性が閉じた赤い本にローシュとセニカの冒険譚が綴られていて、本棚へ収められていた緑の本に、11主人公たちの冒険譚がセニカによって記録され、伝わっているのではないかと。
 歴史は上書きされてしまったけど、彼らの武勇はセニカによって伝えられているよ、と。
 もしくはウルノーガ・ニズゼルファがいなくたって、11主人公の世界にはやはり強大な敵がいて、彼らは結局同じように集まって冒険し、それが後世に伝わったのかもしれないよ、と。

………うーん、それでも何十時間もかけてプレイした私たちの冒険がほとんどなかったことになってしまうわけで。
やっぱり寂しい気がしちゃうんですよね。

 だから私は、結局、パラレルワールドが生まれるのではないかと改めて考えました。
 堀井さんの「歴史がひとつにまとまっていく」という解説を否定するわけではありません。実際、「過去へ巻き戻す」という台詞があるわけですから。過去の世界へ飛んだというより、言葉通り時間を巻き戻したのだということは素直に受け入れられます。

 でもこの作品は、メタな発言をすれば、私たちプレイヤーが存在するゲームなんですよね。
 だからたとえゲームの世界で時間がひとつに収束したとしても、プレイヤーである私たちの選択によって必然的にパラレルワールドは生まれると思うんです。

 過去に時を戻す前、めちゃくちゃ脅されましたよね?「戻れないけど、本当に良いの?」って。
 ドラクエ1や5の時もそうでした。
 竜王から世界の半分を分けてやるが、どうする?と聞かれたのも、結婚相手にどちらを選ぶ?と迫られたのも主人公ですけど、決断したのは私たちプレイヤーでしたよね?
 ドラクエは、堀井雄二さんは、常にプレイヤーを巻き込んで物語を構成する人だったなと11をプレイしながら思い出したんです。

 1なんて、好奇心にかられてちょっと勇者としてよろしくない返答をしただけで、レベル1からやり直しでしたからね?
 外伝のビルダーズなんて、竜王の甘言にのった勇者が精神崩壊してるんですからね?
 そりゃ勇者が魔王と手を組んだら世界が終わるのは分かりますけど、プレイヤーとしては、竜王と手を組んだらどうなるかなって気になるもんでしょ!そんなプレイヤーの純粋な好奇心を刺激しておいて、この仕打ち!

 ……話それましたが、だからまあ、11もそうなんじゃないかなと。

 プレイヤーの動かす勇者の選択で時間を巻き戻したら、堀井さんの言う通り、時間が一つに収束し、ベロニカのいない世界はなくなるのでしょう。
 でももしプレイヤーが過去に戻る前と、戻ったあとのセーブデータを分けておいたら。
 あの世界にとってのパラレルワールドが存在することになります。

 私たちプレイヤーという第三者を交えることで生まれる平行世界というのも、なかなか面白いんじゃないかな、と思った次第です。

 タイムトラベルといえば、ドラクエ7の話もしたいのですが……ここまでドラクエの話ばかりしてきたので、そろそろ本題、エンドゲームの話。

 ドラクエ11をプレイしてしばらくしてからの鑑賞だったので、あとからじわじわと二作の共通点が気になり始めたんですよね。

 エンシェントワンとバナー博士の会話の中でもあったじゃないですか。
 石がひとつ無くなることにより、別の世界線が生まれてしまうが、石を返せば、きちんと元の流れに戻るって。

 だからキャプテンは全ての石を戻すために過去へいくわけですが……そこで過去のペギーとダンスをしたり、石を返しただけで済まさず、過去のどこかで誰かと結婚して自分の時間を過ごしたらしかったりということから、賛否分かれてましたよね。

 主に批判されたのは、ペギーが本来の時間軸ではスティーブ以外の誰かと結婚していたことと、スティーブにとって過去のペギーは彼の知るペギーではなく、また過去のペギーにとってのスティーブがその時氷の中にいるという状況下でダンス踊っとる場合かってところだったでしょうか。

 個人的にはエンドゲームの終わり方が好きなので、こういった批判の声が上がっているのを目にした時、そういう考え方もあるのかと新鮮でした。
 そして、なぜ自分はこんなにもエンドゲームを肯定的に受け止めているのだろうかと改めて考えてみて、堀井氏の「時間がひとつにまとまっていく」という発言を思い出したんです。

 タイムトラベルで必ず語られる、「親殺しのパラドックス」というものがありますが(過去へ行って自分の親を殺した場合、自分は誕生しないことになるが、自分が誕生しないと親は殺されることがなくなるため矛盾が生じるという話)この問題、辻褄を合わせるために考えられるのが、

  1. 矛盾が生じた瞬間、世界が消滅する
  2. 親を殺したことにより、自分が生まれてこない別の世界線が誕生する
  3. 何度試しても、運命に阻まれるように親を殺すことができない
  4. 親が死んだことで若干流れは変わるものの、結局、親族などから自分とほぼ同じ存在が誕生し、大きな時間の流れの中ではたいした変化はなく現在へと繋がる

 堀井氏の「歴史がひとつにまとまっていく」という考えはこのうちの4に近いのかなと思います。

 ドラえもんでのび太がジャイ子と結婚しようが、しずかちゃんと結婚しようが、セワシが必ず生まれるという理論と同じですね。

 エンドゲームもエンシェントワンとバナー博士の会話から推測するに、ストーンがすべて同じ時に存在する限り、時間の均衡は保たれるということなので、4に近いのではないでしょうか。
 トニーがハワードと出会って会話をしてしまってたり、スティーブがペギーとダンスを踊ったりしても、大きな時間の流れの中では、些細なちがいなのかなと。

 そして私は過去へ立ち寄ったスティーブが氷漬けになっている過去の自分を探しても、見つけることができないのではないかと考えています。
 MCUのあの世界において、スティーブ・ロジャースが発見されるのは2012年、2012年までは氷の中に埋もれたまま……これは確定しているのではないでしょうか。
 「親殺しのパラドックス」でいえば、3の考え方に近いかもしれません。
 スティーブが2012年にいなければアベンジャーズの結成というMCUの世界線において最も大きな出来事が成立しなくなってしまいますから。

 というわけで、私はスティーブがペギーとダンスを踊ったことはなんの問題もないと考えています。

「じゃあスティーブの結婚指輪は?ペギーと結婚したとしたら、ペギーが本来結婚する予定だった人がかわいそうじゃないのか」という指摘もよくされますが、そもそもペギーの結婚相手は明かされていませんし(エージェントカーターの続きも公開されてませんからね)、スティーブの指輪の相手も明かされていません。

 これも個人的にエンドゲームの好きなところなのですが……本編で明かされないことはすべて、シュレーディンガーの猫なんです。
 つまり、観客に委ねられているんですよ。
 そしてこの先、もしかしたらスティーブの過去が明らかにされることがあるかもしれませんが、それを観測(観賞)するかしないかもまた観客に委ねれているんです。
 観客が今のところ把握できているのは、スティーブがすべての石を返し終えたであろうということ(ロキからも回収したと思われる)、彼がペギーとのダンスの約束を果たしたこと、そして誰かと結婚して、トニーに言われた通り自分の時間を過ごしてみたのであろうこと、これだけなんですよね。

 私はスティーブとペギーが好きですし、ファーストアベンジャーでの別れが悲しかったので個人的には二人に結ばれて欲しいと思っていますが、スティーブの指輪の相手がペギーだとはどこにも明示されていないので、いわばこれは私の妄想です。

 蓋を開けて自身が観測するまでは猫がどうなっているかはわからない。
 なんだか屁理屈を捏ねているみたいですが、量子力学、EPRパラドックスについて触れているエンドゲームなら、こんな考え方もあって良いんじゃないかなと思うのです。

以上のことから、ドラクエ11とエンドゲームは、プレイヤー・観客を巻き込んだ時間モノエンターテイメントとして刺激的な作品であると私は考えています。

 ……でもMCUは2018年以降、ストーンが存在しなくなってしまっているんですよね。
 すると、この先、時間の均衡は崩れてしまうのでしょうか。
 ストーンがある限りはパラレルワールドが生まれないということでしたけど、ストーンがなくなった世界ではパラレルワールドが無限に生まれてしまうのでしょうか。
 
 RDJとクリスエヴァンスの卒業は寂しいですが、この先の展開を考えると、やはりフェーズ4が楽しみでなりません。

あにま。

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