【トニキャプ】JANIE AND JACKがお似合いのふたり
EPRパラドックスで子どもになったスティーブの話。
※IWから枝分かれした世界線
※お話としてはこちらで完結していますが、書き下ろしのその後の話(トニー子ども化編)を添え、10/20ムパラにて発行しました。
ハンドルを捻ると、頭上高くに固定されたシャワーヘッドから勢いよくお湯が噴き出した。
そうして降り注ぐお湯の中に頭から突っ込み、いつものように手探りでシャンプーボトルに手を伸ばしたところで、はたと思い出す。想定している位置にシャンプーラックがないということを。
普段であればなんということはない高さにあるはずのラックが、今は見上げるほど高い場所にあった。
ラックの位置を変えたのではない。変わったのは僕のほうだ。
浴室に入る前に覗き込んだ姿見の中には、ティーンにも満たないほどに幼い少年の姿があった。
まったく信じられない話だが、その不健康そうな青白い顔には見覚えがあって。
紛れもなく、幼き日の僕自身の姿だったのである。
[chapter:JANIE AND JACKがお似合いのふたり]
「トニー……」
声変わり前の高い声を努めて低くしてトニーを睨んでみたものの、期待した効果は得られなかった。
にやにやと笑いながら「仕方ないじゃないか」と言ってトニーが僕を抱えなおす。
いま、僕はトニーに後ろから抱きしめられる形で湯船に浸かっている。
吐水口から溢れるお湯の勢いで次々に泡が生まれ、バスタブが徐々に満たされていく。
「アヒルでも浮かべるか?」
と小馬鹿にした調子で尋ねてくるトニーを無視して、僕はざぶりと深く泡の中へ身を沈めた。
つい十数分前まで一人でシャワーを浴びるつもりでいた僕が、何故トニーと入浴する羽目になったのか。
答えは単純。トニーが僕の許可を得ぬまま浴室に押し入ってきたからだ。
背伸びをしなければ届かない位置にあるシャンプーラックへ向けて僕が懸命に手を伸ばしていると、無遠慮に入室したトニーが背後からひょいとボトルをかすめ取り、
「だから一緒に入ってやると言っただろう」
と意地悪く笑った。
苛立ちを隠さずに、
「一人で大丈夫だと答えたはずだが?」
と返せば、
「遠慮するな」
「遠慮じゃない」
「だいたいせっかく浴槽を広く設計したんだから贅沢に使え」
「トニー」
「そうだ、泡風呂にして一緒に入ろうじゃないか」
まったくかみ合わない問答が巻き起こり、結局強引に押し切られる形で二人して浴槽の中におさまったのである。
べつにトニーと二人で風呂へ入るのははじめてではない。
湖のほとりの、トニーにしては質素な木造の家に彼と二人で暮らし始めてから二年余り。
これまでの生活の中でもそういう行為のあと、雰囲気に任せてそのまま二人で身を清めた経験はある。だから今更恥らうことではないのだ。
しかし。
ふだんは体格差ゆえに僕がトニーを抱きしめる形で入浴するというのに今は逆。僕がトニーの腕の中にすっぽりとおさまっているのである。
慣れない体勢に居心地の悪さをおぼえる僕とは反対に、トニーは僕を抱きしめて入浴する今の状況が嬉しくてたまらないとみえて、
「あんたの服は先程JANIE AND JACKで調達したからな」
鼻歌交じりの上機嫌な声が、浴室に響きわたった。
僕の身体に変化が生じたのは昨夜。わずかにおぼえた違和感に目を醒ましたところで、違和感は不快感に変わって全身を駆け巡った。気付いた時にはもうすべてが変化し終えていた。
原理は分からない。だがきっかけには心当たりがあった。
身じろぐ僕につられて目を覚ましたトニーもそうだ。彼は僕の姿に驚いて目を見開いたのち、持ち前の頭の良さで瞬時に状況を理解した。その証拠に彼は目覚めの一発、「あのたぬき親父め……」と悪態を吐いてみせた。
たぬき親父、と称されたフューリーの態度もまた嫌味なくらい落ち着いていた。
『解決法が見つかるまでスタークの元で待機するように』
簡潔に指示するフューリーに、
「待機だと? スティーブはあんたらのイカれた研究に巻き込まれたんだぞ!」
『彼に強要した覚えはない』
「だからって……!」
僕の代わりに噛み付いてくれたトニーの言葉は最後までフューリーの元に届くことなく、通信は途切れた。
イカれた研究……とトニーが称したのは、近年フューリー及び新生シールドが取り組んでいる平行世界とこの世界を繋ぐゲートに関する研究のことだ。
宇宙全体を脅かす脅威であったサノスとの激闘ののち、僕たちを取り巻く環境は大きく変わった。
現在、僕たちはダンヴァースやクイルたちと連携を取りながら、地球だけでなく宇宙に現れるヴィランにも目を光らせる日々を送っている。
そんな最中、フューリーが別次元からのSOSを受け取った。信号は一瞬のことで、未だ詳細は解明されていない。けれどその信号が、僕たちの暮らす次元以外にも無数に別の次元が存在することを明らかにしたのである。
シールドが信号をもとに平行世界への渡航を目指して研究を始めると、トニーはそれを鼻で笑って一蹴した。
「馬鹿馬鹿しいうえに危険だ。あんたは関わるなよ」
せっかくのトニーの忠告だったが、結論からいうと僕は聞き入れなかった。
心配してくれる彼の気持ちは素直に嬉しい。しかし危険を承知で、それでも僕は助けを求める声を無視できなかったのだ。
僕に出来ることがあるならば。この手で助けられる人がいるならば。動かずにはいられない性格は、今も健在だった。
その結果、実験の余波を受けて今の姿があるのだから、自業自得というものだ。フューリーを責める気は毛頭ない。
もっとも。元に戻る方法が分かったら一刻もはやく知らせてくれと願ってはいたけれど。
風呂から上がり、僕の髪をまるで娘にするかのように丁寧に乾かした後、
「さあ、子どもは寝る時間だ」
と言ってトニーは僕を抱き上げた。あまりに自然な動きに一瞬呆気にとられたものの、はっと我にかえり、
「……僕は105歳だぞ」
と主張した。聞き入れてもらえないと分かっていても、不服を訴えずにはいられなかったのだ。
「それはそれは。ますます見た目と実年齢がかけ離れてしまったな」
トニーは、くくっと押し殺した笑いをみせ、
「それならこれは子守じゃなくて介護だ」
と言って、ベッドに着くまでおろしてくれなかった。
夜更かしするなよ、と言ってトニーが僕の額にキスをした時。彼がそう言いきかせて自分の子どもを寝かしつける姿が脳裏に浮かんだ。僕がそばにいる限り、そんな未来はあり得ないというのに。
途端にしくりと胸が痛み出し、僕は彼に何の言葉も返せぬまま、枕に顔を押し付けた。
シベリアでの決別後、僕らが再会を果たしたのは、今から五年前。それはニューヨークがサノスの手下、ブラックオーダーの急襲に遭ってから五年、そしてサノスとの死闘からも五年経過したことを意味していた。
あの日トニーが僕に電話をかけてくれなかったら。
果たして僕たちは、アベンジャーズは。今頃どうなっていただろう。
トニーが僕に電話をかけてくれた時から、全ての歯車がうまく回りだした。
ヴィジョンを助け、フューリーに連絡を取り、ダンヴァースの協力を得て、ワカンダでサノスを迎え撃った。
なんとも皮肉な話だが、宇宙規模の脅威であるサノスと対峙したことにより、アベンジャーズは再び結束したのである。
サノスとの死闘のあと、僕たちはヒーロー活動の足枷になりかねないソコヴィア協定の見直しをはかった。
今度はじっくり協議を重ね、互いに納得のいく形で。
トニーから想いを告げられたのはそのあとだ。
「思えばあんたとは出会った時から衝突ばかりで、顔を合わせるたびに口論をしてきた。が、離れてみて思い知ったよ。どうやらそばにいないほうが余計に厄介なことが起こるらしい。だからというわけじゃないが……」
スティーブ。これからは僕のそばにずっといてくれないか。
彼らしい捻くれた告白だった。けれどもその日、僕は彼の言葉をまっすぐに受け止めて、差し出された手を取ったのである。
寝室の扉が開く音で目が醒ますと、枕もとの時計が午前五時を示していた。
夜が明けようかという時間にようやくベッドに入り込んだトニーへじっと視線を送ると、
「なんだ。眠れなかったのか?」
彼はわずかに驚いた声を上げたあと、優しく僕の頭を撫でた。
慈しむようなその手つきの心地よさに身を任せ、目を閉じる。そして、
「トニー……君は意外と子ども好きなんだな」
思うままにぽつりと呟くと、
「まさか。子どもは話が通じない。むしろ苦手だね。あんた相手だからだよ」
分かるだろう? と同意を求められた。
彼のその言葉に偽りはない。分かっている。
「けれど君は、ペッパーとの間に生まれる子の夢を見たと聞いた」
その話は「プロポーズをしているところに遭遇した」というストレンジから、流れで軽く耳にした程度だったのだけれど。
五年前。僕たちが再会を果たす前。トニーはたしかにペッパーと付き合っていたのだ。
「……彼女とは、君と暮らし始めるずっと前に別れている」
震える彼の声にはっと身を起こす。言葉選びが不適切だったことは明らかだ。僕はいつも彼を傷付けてしまう。傷付けたくはない。いつだって大切にしたいのに。
「すまない。分かっている。君の不実を疑ったわけじゃないんだ」
覗きこんだトニーの瞳が悲しげに揺れるのを見て、続けて言葉を紡ぐ。
「トニー、僕は君からの言葉が嬉しかった。心から。未だに口喧嘩をすることも多いが、それすら楽しい。二年経った今でも毎日が新鮮で、愛おしくて」
だからこそ考えてしまったのだ。僕たちの関係はこのままで良いのかを。
この世界以外にも世界が存在すると知った時。
自分の選択によって無数の世界が生まれると知った時。
トニーが本当のパートナーと結ばれて子どもをつくり、幸せな家庭を築くという光景が頭を過ぎってしまったから。
「……ペッパーは」
暫く続いた濃密な沈黙ののち、トニーが小さく口を開いた。
「彼女は、僕がこれまで出会ってきた中で最高の女性だ。優しく、聡明で、なにより美人。この先も彼女以上に素晴らしい女性に出会うことはないだろう」
トニーの言葉は胸にすとんと落ちてきた。
きっと彼にとってのペッパーは、僕にとってのペギーのように特別な存在なのだろう。
「ペッパーとは、彼女が大切だから別れた。お互いに納得した上でな」
「大切だから……」
「この先の人生に、彼女を悲しませる未来を見たんだ。彼女は優しいから、いつだって最後にはありのままの僕を受け入れてくれる。だが僕がヒーローでいる限り、彼女の心が安らぐ日は来ないだろう」
皮肉なことにそれを知るきっかけはあんただったけどな。
「僕?」
ふいに話を振られ、驚き顔を上げると、
「無茶をするあんたに心を乱されるようになってから、ようやくペッパーの気持ちが分かった」
と彼は肩をすくめてみせた。次いで
「あんた、その姿のままでも必要とあらば戦場へ向かうつもりだろう?」
という確信に満ちた問いをかけられ、僕は即座に返事ができなかった。
もしも元の姿に戻る手段が見つからなかったとしたらどうするか。
この姿ではせっかくトニーから返してもらった盾も振るうことは適わない。血清を打つ前のもやしの頃よりさらに小さく貧弱な身体なのだ。戦力にはとてもならないだろう。
「……だがまあ、諜報員としてなら」
少しくらい役に立てるかもしれない。子どもの姿なら相手も油断するだろうし……と半ば本気で考えていると、横から大仰な溜息が聞こえてきた。
「あんたがこれ以上無茶をする前に、元に戻す方法を見つけないとな」
これだからあんたといると気苦労が絶えない。おそらく量子エンタングルメントで生じたEPRパラドックスによるものだろうが、その場合一時的な変化で、すぐ元に戻る動きをとるはず……などと、ぶつぶつ呟くトニーの言葉の半分も僕は理解できなかったけれど。
一つたしかなことは、無茶はお互い様だということだ。彼だってこんな明け方まで根をつめて僕のために研究をしてくれているのだから。
「トニー」
「大丈夫だ、スティーブ。すぐ……あんたは元に戻れる……僕を信じろ」
「もちろん。君ならきっとその方法を見つけてくれると信じている」
だから、今日のところはゆっくり休んでくれ。
会話の途切れの中で疲労がどっと押し寄せてきたのだろう。落ちてくるまぶたと懸命に戦うトニーの頰に、
「おやすみ、トニー」
小さくキスを送ると、睡魔に耐えかねた彼はゆるりと目を閉じた。
トニーは宣言通り、数日のうちに僕を元の姿に戻してくれた。
だがこれは根本的な解決ではない。シールドは未だ別次元に繋がるゲートの研究を続けているし、僕も引き続き実験に協力するつもりでいたからだ。
「シールドに任せるぐらいなら私が発明してやる!」
と、業を煮やしたトニーが改めて研究に着手し、その過程で僕と同じ目に遭うことになるのは……また別の話。
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