【トニキャプ】Liar×Liar

※もやしに戻ってしまったスティーブと、スティーブと気付かずにトニーが出会ってしまう話

※時系列はCW後

掲載分でお話は完結していますが、トニー視点の書き下ろしを添えて、本を発行しました。



 タイミングが悪かった。何がと問われれば、全ての。

 画材屋を出た瞬間、僕は通行人の男とぶつかったのだけれど、その通行人というのがたまたまトニー・スタークで、たまたま彼はコーヒーの紙コップを手にしており、そして。

 たまたまこの時の僕は、彼の知る僕とかけ離れた姿をしていたのである。

[chapter:Liar×Liar]

 時間にして数秒。僕らは互いに互いを見つめたまま硬直していた。

 突然の出来事に僕の頭は混乱をきわめ、彼にかけるべき言葉が全く浮かばなかった。なんと答えよう、今の自分の状況をどう説明すれば良いだろうと逡巡しているうちに、

「すまない。大丈夫か?」

 と、トニーのほうから声をかけてくれた。それがいつになく優しい声色だったものだから。僕はさらに戸惑い、言葉をつまらせた。

「? おい、もしかして怪我を……」

 気遣うように伸ばされた手に、はっとして

「いや、問題ない」

 ありがとうと答えながら、僕は彼の手を借りることなく立ち上がった。情けないことにぶつかった拍子にのけぞり倒れてしまっていたのである。ふだんの僕ならこの程度の衝撃、なんてことなく耐えられただろうに。

 ふとショーウィンドウにぼんやり映る自分の姿が視界に入った。遠い昔に失ったはずの骨と皮ばかりの貧弱な姿。身長もぐんと縮み、ふだんは見下ろすトニーの顔が、今は見上げる位置にあって。ふいに彼のグレーのスーツの胸元がべちゃりと茶色く濡れていることに気が付いた。そうだ、彼はコーヒーのカップを手にしていたのだった。

「す、すまない! トニーのほうこそ、スーツ……いや、その前にやけどはしてないか!?」

 矢継ぎ早に問えば、彼は僕の勢いに押されてか、わずかに目を見開いたものの落ち着いた様子で、

「ああ、気にするな。すでにぬるくなっていたし、スーツもたいしたものじゃない」

「しかし……」

 コーヒーの温度はともかく、スーツがたいした代物でないというのは俄かに信じがたかった。トニー・スタークともあろう男が安物のスーツを着るはずがない。もし彼が安いと感じるものであったとしても、それは到底僕に弁償できる金額ではないだろう。

 気にするなというトニーの言葉を素直に受け入れられずにいると、彼は大げさに肩をすくめてみせてから「どうしても気になるというなら仕方がないな……」と呟き、

「それなら、これからランチに付き合ってくれないか」

 と言って、悪戯っぽくウィンクをしてみせた。

 

 トニー・スタークがランチに行くというのでどこへ向かうのかと思えば、行き先は大手のハンバーガーチェーン店だった。そういえば彼は意外とジャンクな食べ物が好きだったなと思い出す。

 せめてここの会計は僕が持つからと説得し、彼を席に残してレジへ向かった。いまだファストフードの注文形式には慣れないが、現代に来てから五年。さすがにもう会計で戸惑うこともない。

 難なく商品を受け取って席へ戻ると、

「ありがとう、ジョセフ」

 と礼を言いながら、トニーはトレイにのったチーズバーガーを二つ手に取った。

 ジョセフ、というのは僕のことだ。聞き間違いではない。彼は僕のことをスティーブ・ロジャースではなくジョセフ・グラントだと思っている。

 なぜって、名前を尋ねられた僕がとっさに偽名を使ったからだ。

 騙すつもりはなかった。トニーが僕と気付いていたなら、今置かれている状況について正直に話すつもりでいた。しかし。

「君、名前は?」

 そう尋ねてきたときの彼の表情が、眩しいほどに穏やかで。ああ、きっと彼はいま以前よりずっと平和な日々を送っているのだと察することができた。

 キャプテン、と僕を呼ぶトニーの声が頭の内に響く。それに、そう。僕はもうキャプテンじゃない。キャプテン・アメリカの象徴である盾は僕にふさわしくないと彼は言った。彼が僕を「キャプテン」と呼んでくれることはもう二度とないだろう。

「僕の名前は……」

 このとき僕の脳裏に、この二年のあいだ一度も鳴ることのなかった携帯電話の存在が過ぎった。

 

「どうした?」

 視界がふいに翳ったのを受けて顔を上げると、トニーがこちらを覗き込んでいた。

「もうスーツの件は気にしなくていいぞ」

 どうやら考えふけっている僕を見て、先程のスーツの件を気に病んでいるものと勘違いさせしているらしい。実際、チーズバーガーを二つ奢った程度でトニーのスーツの代わりになると思っていたわけではないので、全く気にしていないかと問われれば嘘になるが……などと考えていると。

「それでは君のポテトも貰おう」

 と、トニーが無遠慮に僕の注文したポテトへ手を伸ばしてきた。反射的にそれを制止すると、

「なんだ? いいだろう、ポテトくらい」

「……やるのは構わないが、ふつう返事を待つだろう」

 意地汚いぞ、とジトリと見やる。

 すると突然、トニーは弾けたように笑い出した。

「トニー?」

「ふふ、いや、あんたと話していると、つい知り合いを思い出してしまうんだ」

 おかしくてたまらないというようにトニーは肩を震わせ、くつくつと笑い続けている。

 知り合い。誰だろう。色々な顔を思い浮かべてみたけれど、該当する人物が見つからなかった。もっとも、僕とトニーでは交友関係が違いすぎて、思い付く人物自体が限られてしまうのだけれど。

 トニーに釣られて、しだいに僕までおかしくなってきて、

「君は前にも人のポテトを盗んで怒られたことがあるのかい?」

 からかうように尋ねれば、彼はゆるりと首を横に振った。

「ポテトを盗んで怒られたことはないが、しょっちゅう小言を言われていたよ」

「小言? 仕事仲間か?」

 ペッパーだろうか、と彼の秘書であり恋人であったはずの女性の姿を頭に浮かべる。

「……そうだな。同僚だった。わけあって今はちがうが」

 話しているトニーの表情がにわかに曇った。

  ああ、たしか社長の座を彼女に引き継いだと言っていたし、プライベートでもすでに別れていたのだったか。この話題にはこれ以上触れないほうがいいかもしれないな。そう思った矢先、

「ジョセフ。君は絵を描く仕事をしているのか?」

 と、トニーのほうから話題を変えてくれた。

 なぜ絵の話題を、と思い返してみれば今日の彼との出会いは画材屋の前だった。しかもぶつかった拍子に、買った水彩画の画材一式を派手に落としてしまい、拾うのを手伝ってもらってもいたのである。

「仕事ではないよ。趣味……と言っても、本当に久しぶりに描こうかなと思い立ったのだけれど」

「以前はどういうものを描いていたんだ?」

「風景画が多かったかな。あと、時々せがまれて親友を描くこともあった」

 色男に描けよ。そう注文してくるバッキーを思い出し、懐かしさがこみ上げてくる。

  現代で目覚めてからは毎日が目まぐるしく過ぎ去り、絵を描こうという気持ちになれなかった。今回、突如もやしの姿に戻ってしまい時間ができたことで、久しぶりに絵を描いてみようという気持ちになったのだ。

「人物も描くんだな」

「ああ。頻繁ではないけどね」

 トニーの言葉に、軽く相槌を打つ。すると彼は、ずいと身を乗り出し、

「私も描いてくれ」

 と、せがんできた。唐突な依頼に戸惑う僕に、彼は「親友にも描いてやったんだろう?」と畳み掛けてくる。

「必要なら別日にモデルとなる時間を取ろう。いつが良い?」

 フライデー、とスケジュール確認のため彼がAIに呼びかけるのを僕は慌てて止めた。別の日に改めてなんてとんでもない。いつまでこのもやしの姿でいられるか分からないのだから。

 そうしていつの間にか、もう少しこのままの姿でいたいと考えている自分に気が付いた。思いがけず訪れたトニーとの時間が嬉しかったのだ。

 惜しいと思ってしまった。僕以外の人と過ごす時のトニーの、朗らかで優しい人となりを知ってしまったから。そんな姿をスティーブ・ロジャースの前では決してみせてくれないだろうと分かっていたから。

「……ラフでよかったら」

 今この場で描かせてくれないか?

 そう提案したのは秘密を守るためだったけれど、彼との時間を引き伸ばすための最後の足掻きであったようにも思う。

 

 向かいに座るトニーを観察し、スケッチブックに鉛筆を走らせる。

「少しなら動いても大丈夫だよ。力を抜いて」

  手を止めず声をかけると、「会話も大丈夫か?」と尋ねられたので、頷いてこたえた。

「先程の君に似た男の話だが、彼もむかし絵を描いていたらしいんだ」

 振られた話に耳を傾けながら、ペッパーじゃなかったのか、と思う。

「その人にも描いてもらったことがあるの?」

「いや。仕事上の付き合いしかなかったからな。プライベートはほとんど知らない。だが、ミュージアムで彼の絵をいくつかみたことがある」

 極力顔を動かさないように努めてくれているのだろう。トニーは遠くへ視線を向けたまま、僕に語って聞かせてくれた。

 どうやら彼の知人というのは、美術館に飾られるほど著名な画家らしい。

「その絵が忘れられなくて……絵だけじゃない。彼の功績も仕事ぶりも。僕は無意識に彼のすべてに惹かれていたんだ。だからプライベートも知らないくせに勝手に旧知の仲のような心持ちになってしまっていたのかもしれない」

 トニーの言葉は僕に語りかけているようで、独り言のようでもあった。

 ふいにあの時のトニーの言葉が蘇る。バッキーを庇うため、彼は友なんだと訴えた時。トニーは「僕もそうだった」と苦しそうに叫んだのだ。

「……同僚、と言っていたけれど、彼は仕事をやめてしまったのか?」

 これ以上深く聞くべきではないと直感が告げていた。それでも知りたいという気持ちが抑えられない。警鐘を鳴らすように心臓が高鳴る。

 トニーは少し考えたあと、「分からない」とこたえた。

「仕事熱心な男だからな。私の同僚ではなくなったが……どこかで同じ仕事を続けているのかもしれない」

「連絡は?」

「取っていない」

「なぜ?」

 ここまでの会話で、無意識に僕は彼の元同僚に自分を重ねてしまっていることに気が付いた。

 トニー、君が平穏な日々を送っているならそれで良いんだ。きっと僕など必要としないで済むならそれが一番だろう。だが、僕は君を深く傷付けてしまった。だから少しでも君が僕を必要としてくれる時。僕は僕ができる限りで、君の力になりたいんだ。

「そうだな……きっかけが分からない」

「きっかけ?」

「何年も口をきいていないんだ。話の切り出し方が分からない」

「君でもコミュニケーションで悩むことがあるのか」

「おい、僕のせいばかりじゃないぞ。向こうが……あー、用がある時以外、連絡をしてくるなと言ったんだ」

 そういって僕の問いかけにトニーが答え終わる頃、僕も数枚のラフ画を描き終えた。

 そのうちの一枚を切り離し、「今はこれくらいのものしか渡せないけど」とトニーに差し出す。

「あ、ああ。ありが……」

「なんでも良いと思うんだ」

「なに?」

「きっかけ。君の最近の気分を打ち明けてみるとか。どんなことでも。もしかしたら相手もきっかけを探していて、けれど自分から話しかけることに気後れしているだけかもしれない」

 まるで自分のことのようにそう伝えると、僕は立ち上がった。

 結局、トニーの思い浮かべる人物が誰かはわからない。僕かもしれないし、僕の知らない誰かかもしれない。たとえ相手が誰であろうと、トニーの心を煩わせるものが一つでも無くなれば良いと思った。

「いつか完成したら、君のもとに届けるよ」

 それだけ告げて、呼び止めるトニーのほうを振り返らずに、僕は店を後にした。

 

「やっぱり、ついていけば良かった」

 一部始終を聞き終えたナターシャが、玩具を取り上げられた子どものようにぼやく。それを受けて、「一人の時で本当に良かった……」と胸の内で呟いてから、すぐさま僕は「元に戻る方法は見つかったのか?」と話題を切り替えた。

「自然に効果は切れるそうよ」

 あと数時間ってとこかしら。ナターシャが腕時計を確認しながら答える。

「それからシュリ王女から伝言。実験に付き合わせてごめんなさい、ですって」

 ナターシャの言葉が頭の中で利発的な少女の声で再生される。まさか数日前に付き合った彼女の実験の副作用が、ワカンダを遠く離れてニューヨークを訪れたタイミングで引き起こるとは思わなかった。もう二度とごめんだと思うけれど、おかげで予期せぬ再会を果たせたのだから良しとしよう。

 まもなく、二年間沈黙を貫いてきた二つ折りの携帯電話が、ささやかな音色を奏でた。


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