【トニキャプ】イノセンス

※トニーが記憶を失う話

※EG後、トニーとナターシャの生存世界線

※匂わせ程度のBW要素(ネタバレはありません)

こちらの話で完結してますが、スティーブ視点の書き下ろしを加えた本を発行してます。



なにかがおかしいと思った。

 ブルースは「記憶が混乱しているせいだよ」と説明してくれたけれど、どうにも納得がいかない。

 たしかに混乱はしていた。タイム泥棒のしっぺ返しで2014年のサノスから急襲に遭い、撃退するためストーンを使った僕は、気付いたらベッドの中にいたのだ。

 サノス軍が消滅することを願って指を鳴らしたが、果たして効果はあったのか。あの戦いから何日経過したのか。ストーンの返却は済んだのか。僕が目覚めた場所、窓から湖畔を望むこのログハウスはどこなのか……まるでわからなかった。

 目覚めたばかりで動揺する僕に、ブルースは簡潔に状況を説明してくれた。

 ストーンの効果で無事サノス軍を退けられたこと。僕が目覚めたのはあの戦いからちょうど一週間後であること。ストーンの返却はスティーブが済ませたこと。そして。

「このログハウスは……トニー、本当に覚えていないのかい?」

 ブルースは眉をひそめた。

「まるで覚えがないな。新しいアベンジャーズ基地か?」

「いや……きみの家だよ」

「僕の?」

 ブルースの答えに、僕はゆっくりと部屋を見渡してみた。木製の壁に落ち着いた色調のラグ。家具は背の低いチェストと本棚、ルームライト、そして僕がいま横たわっているキングサイズのベッドだけ。僕の部屋にしては驚くほどシンプルだ。

 別荘にならちょうど良さそうだが……どちらにしろ覚えがない。

 そこでふと思い出した。ウルトロンからの襲撃の折、バートンの家を訪ねた日のことを。

「……ここは、ミッション遂行中の隠れ家か?」

 問いかけると、ブルースは肩をすくめてみせた。

「当たらずとも遠からずだな。まあ、一週間も眠り続けてたんだ。混乱するのも無理はないさ」

 あとはスティーブに任せてあるから、安静にしていてくれ。

 そう言って立ち上がりかけたブルースを、

「待て、スティーブだと?」

 反射的に手首を掴んで引き止めた。

「なぜ奴にあとを任せる?」

 ペッパーやハッピー、ローディならわかる。彼女、彼らほど僕という人間を理解してる者もいないだろうから。だが、スティーブは僕の理解者ではない。ありえない。絶対に。

 アベンジャーズが解散に至った経緯はブルースにも説明したはずだ。タイム泥棒の作戦決行にあたって一時的に手を組んだが、僕たちの間にできた深い溝はそう簡単に埋まるものではない。そばでみていたブルースもわかっているだろうに、なぜ。

 けれどもブルースは賛同するどころか不思議そうな視線を僕に向けると、

「なぜって……この家のことはきみと一緒に住んでいるスティーブのほうが僕よりよほど詳しいじゃないか」

 と、さも当然のことのように言ってのけたのである。



 僕と仲間の記憶には齟齬がある。

 しかしそれがわかったところで、ストーンを使用したこと以外に思い当たる要因はなく。ひとまず生活に支障はなさそうだと「経過観察」という診断がアベンジャーズの二人のドクターから下された。

 生活に支障はない。たしかにそうだ。僕には覚えのない家だが、僕と生活を共にしていた(らしい)スティーブが身の回りの世話をしてくれることになったので不自由はない。

 けれど問題はそのスティーブにあった。

 僕の中の彼はシベリアで決別した時のまま止まっているのである。その後サノスを倒すために協力した覚えは薄っすらとあるが、そこに至る経緯は判然としないままだ。無理に思い出そうとすると激しい頭痛に襲われる。そのたびに痛みでうずくまる僕の背中を、

「無理はしなくていい」

 と、スティーブは優しく撫でてくれた。

 僕の知る彼、キャプテン・アメリカは誰にでも優しい男だ。だがどうにもあの日シベリアで盾を置いて決別した彼の姿と目の前の穏やかな顔つきの男が結びつかない。違和感が胸につかえ、苦しさが募った。

 目覚めてから数日経ったある朝。食卓に並べられた、こんがりときつね色に焼かれたパンとフルーツスムージを前に、なかなか口をつけようとしない僕を見て、

「どうした? まだ食欲が湧かないか?」

 と、スティーブが問いかけてきた。責めるのではなく心底心配するようなその声音が、ひどくむず痒い。

 食欲は十分ある。一週間寝ていたこともあり気だるさは残るものの、体調に問題はない。  

 しかし僕の好みの理想的な朝食を提供してくれるスティーブのことだけが、どうしても受け入れられずにいたのだ。

「確認だが……ここは僕がいま生活している家、なんだよな?」

「そうだ」

「あんたと一緒に暮らしていたのはミッションのため、だったか?」

「……ああ」

「どのくらいの期間?」

 尋ねるとスティーブは、ふいと僕から視線をそらし、「もうすぐ5年になる」と答えた。

「5年!? いったいどんなミッションだ?」

 5年前といえば、最初にサノス軍に地球が襲われた年だ。サノスはすべてのストーンを集め、指を鳴らした。そうして全宇宙から半数の命を無慈悲に葬り去ったのである。タイム泥棒作戦を決行しなければきっと今もその半数の命は失われたままだっただろう。

 けれど僕たちはサノスによって奪われた人々を残らず救うことに成功した。それは僕が時空GPSを開発したからだが……そうだ。思えば僕は何故あんな無謀な策に乗ったのだろう。

 あの作戦には不確定要素が多すぎた。僕も数々の無茶をしてきた自覚はあるが、さすがに半数の命を救うために残りの半数を危険にさらす作戦にうって出る勇気はない。よほどの楽観主義でもない限り、思いついたって実行には移さない類の策であったはずなのに。

 記憶の混乱は認めるとして、不思議なのは覚えていることと覚えていないことの差がある点だ。タイム泥棒を決行したことは覚えている。サノス軍を倒すためにストーンを使ったことも。だが前後の繋がりが不明瞭なのだ。結局、スティーブに関わる部分が曖昧なために、なにもわからない。

 シベリアで決別した後、スティーブは一方的に旧式の携帯電話を送りつけてきた。いざという時は呼べと書き添えられたその携帯を僕が使うことはなく……いや、本当にそうだっただろうか。ふと湧いた疑問に自問する。

 僕はあの携帯を使わなかったのか? スティーブと連絡を取ることがないまま、僕たちは5年前サノスに敗北した? どうして僕はスティーブに関することだけをすっかり忘れてしまっているんだ?

 詳しく聞き出して考察したかったけれど、どうにもスティーブはこの話題を避けたいようで、「もう済んだことだ」と流されてしまった。頑固な男だ。その後、どの角度から尋ねようとも答えてはくれなかった。

 目覚めてから一週間が経った。けれどいまだ記憶の戻る気配はない。

 スティーブは変わらず朝昼夕と食事を用意し、洗濯や掃除など家事の一切を引き受けてくれている。次の検診まで面倒見るというブルースとの約束を律儀に守っているようだ。もう一人で大丈夫だと伝えたが、「約束は約束だから」と融通のきかない返答をよこしてきた。

 いったいこの堅物と、記憶を失う前の僕はどうやって五年も過ごしてきたのだろうか。この一週間、スティーブは僕の体調を気遣ってくれたけれど、お世辞にも楽しいひとときであったとはいえなかった。育ってきた時代も趣味も感性もなにもかもちがうのだから、当然盛り上がる話題もない。かといって以前のような口論もなく、それが退屈に拍車をかけた。

「フライデー」

 リビングのソファに横になりながら、フライデーを呼び出す。気を紛らわすため、次々と友人(便宜上の分類だが)に連絡を入れた。ローディ、ハッピー、ピーター、それにペッパー。

 あわよくばスティーブの代わりに僕の看病を買って出てくれないかと期待したけれど、なぜかみな最後には「記憶が戻って落ち着くまではスティーブと一緒に過ごしたほうがいい」と返してきた。

「……もう限界だ」

 皆が知っているのに自分だけが知らないことがあるという事実が気持ち悪い。苛立ち紛れにがしがしと頭を掻いていると、キッチンでコーヒーを淹れていたスティーブが、

「あせらないほうがいい。また頭痛が引き起こったら辛いだろう?」

 と控えめに微笑みかけてきた。

 まただ、と思った。またひとつ僕の知らない彼の表情を見てしまった。

 僕はざわつく心を抑え、

「それならいい加減話してくれ」

 と彼へ詰め寄った。

 語気の強さに反応してぴくりと彼の眉が動く。

「必要なことは話しただろう?」

「ミッションについて聞けてない」

「……以前話したように、もう済んだことだ。きみが忘れるくらいだから、大したことじゃない。5年前、サノスとの決戦に備えてここで共同生活をしていた」

 ただそれだけだとスティーブはいう。だが彼の言うとおりミッションを共にしていただけなら、サノスを倒した今、皆が僕らをここに留まらせたがる理由はなんだ。

「大したことじゃないなら、きみの部屋を見せてくれ」

 焦れた僕は勢い、リビングを飛び出した。

 この一週間、記憶の手がかりを探して家中を見て回ったけれど、目ぼしいものは見つからなかった。唯一調べられていない場所。それがスティーブの自室なのである。目覚めた当初から「寝起きに使っているだけの部屋だから」といって入らせてもらえなかった。

「待て! 人の部屋に許可なく入ろうとするのはマナー違反だぞ!」

 追いかけてきたスティーブに強い力で腕を掴まれ、引き止められる。眉を吊り上げて説教を垂れる彼の姿に懐かしさを覚えた。そうだ、キャプテンはやはりこうでなければならない。

「どんな些細なことでも良いから、記憶を取り戻す手がかりが欲しいんだ! 記憶を失う前の僕が一度でもあんたの部屋を訪れたことがあるなら、あんたの部屋を見ることでなにかを思い出す可能性もあるんじゃないのか?」

 まっすぐにスティーブの青い瞳を見すえて訴えかける。失った記憶がどんなものであってもいい。このままにしたくなかった。

 スティーブの瞳が迷うように震えた。と同時に腕の拘束がわずかに緩む。

 僕はそれを許諾と見なし、彼の部屋へと足を向けた。

 スティーブの部屋は、僕の部屋以上にシンプルだった。なんといってもベッドがない。部屋の中央には背もたれにブランケットのかかった、大きなソファが置かれている。どうやらそこで彼は寝起きしているらしい。

 ソファの向かいには巨大なスクリーンが設置されていた。まるでホームシアターだ。実際、映画を観る機会は多かったのだろう。ローテーブルの上にはいくつか古い映画のケースが置かれていた。そしてその脇に、

「写真……?」

 写真立てに飾られた写真があった。どうせ彼が氷漬けになる前の恋人か親友と共に撮ったものだろうと思いながら覗き込むと、そこには予想外の人物が写り込んでいた。僕だ。彼と肩を並べて写る僕がいる。写真の中の二人はどこか不機嫌そうだが、距離は肩がぶつかるほど近かった。

「……なにか形に残るものがほしいと言ったのはきみだ。それなら写真が良いと、僕は答えた」

 背後から声をかけられる。振り返ると、スティーブが扉に背を預けて立っていた。

「タイム泥棒は失敗の可能性を多分にはらんだ計画だった。だから万一に備えて……なんて、おぼえてないだろう?」

「……ああ」

「良いんだ。忘れても仕方のないくらい些細なことだから」

 スティーブはなにかを諦めるように首を小さく左右に振ると、

「……だが僕には」

 たしかに大切な思い出だったんだ。

 そう言い残し、彼はまた僕の元を去って行った。

 どれくらい経っただろう。いつの間にか日が西へ傾き、部屋に暗く影を落としていた。

「一歩遅かったみたいね」

 辛気臭い顔、とナターシャは僕の顔を見るなり毒づいた。

「……珍しいな、きみが僕のもとを訪れるなんて」

 サノス級の問題が生じない限り僕の顔なんて見たくないだろうに。自嘲気味に返せば、

「そうね。ある意味サノスに襲われるよりタチの悪い事態かも」

 彼女はソファで寝そべる僕を見下ろした。

「話してなかったけど、私も記憶を一部失ってたの」

 おそらくソウルストーンを得るための代償としてね。

 突然の告白に、僕は横たえていた体をがばりと起こした。

「なぜ言わなかった?」

「あることは証明できても、ないことの証明はできないでしょ。私の場合、忘れてることすら気付けなかった」

「今はもう思い出したのか?」

 向けられた視線が肯定を示す。だがどうやって。

「何気ない記憶と一緒に埋没させられている状態なんだと思う。なくなったわけじゃない。だから思い出せる。その記憶が大切なものだと自覚さえすればね」

 そういって彼女は僕の胸に向けて何かを放った。受け止めて見れば、それはいつだかスティーブがよこしてきた旧式の携帯電話で。

「番号は変わってないわ」

 次、またあんたたちの喧嘩でアベンジャーズがバラバラになったら、今度こそ許さないから。そう彼女は釘を刺してきた。

 サノスに破壊されたため新しく建て直されたばかりのアベンジャーズ基地。

 そこで待つスティーブの元へ急ぎ向かう。短い通話の中でどうにか会う約束を取り付けた僕は、少しずつ記憶のピースが繋がっていくのを感じた。

 5年前、僕はこの携帯を使ったのだ。通話の中でブルースから聞いたサノスの情報をスティーブと共有し、彼はワンダとヴィジョンのもとへ向かい、僕は誘拐された魔術師を追って宇宙へ……そうして僕たちは別々の場所でサノスに敗北した。

 だが、タイムストーンの効果でいくつもの未来を見たストレンジが消える直前に告げてきたのである。たったひとつだけ、サノスに勝てる未来を見たと。5年後、勝機が訪れる。それまで準備を進めておけと。

 僕らはそのたった一つの希望にすがって5年待った。そうしてスコットが量子の世界から戻ってきたことをきっかけに、すべてが動き出したのである。

 エントランスの前に立つスティーブを視界の端に捉え、ブレーキを踏む。勢い、少し行き過ぎた車体をバックさせながらドアガラスを開き、

「全部思い出した」

 と告げた。

「僕はきみに言ったな。サノスとの戦いが終わったら、自分の人生を生きろと」

「……ああ。だから僕はストーンをすべて返し終えた後、きみと過ごしたあの家へ戻った」

 少し険のある彼の物言いに、

「……忘れていたことを怒っているのか?」

 と尋ねれば、

「まさか。人から忘れられるのには慣れてるよ。親友にも忘れられて殺されかけたことがあるしね」

 と笑えない冗談でもって返される。

「あんたな……!」

 勢い、アウディから降りると、

「きみが忘れたならそれでも良いと思った。この5年は特殊な状況だったから。冷静になる良い機会だと……だからそうだな。怒っているとすれば僕自身に対してだ」

 思っていたよりずっと、きみに執着してしまっているみたいなんだ。

 そう言って彼は困ったように笑った。

 ああ、こんな告白をさせていいのか。許していいのか。仮にもプレイボーイで名をはせたこのトニー・スタークが。

 扉を閉め、彼と向かい合う。身長差ゆえに自然と上目遣いになってしまうのが少し気にくわないが、仕方がない。

「過ぎた過去は変えられない。それはタイム泥棒作戦で身をもってわかったことだと思うが……いや、量子力学の講義をしたいんじゃない。僕が言いたいのは、これから先の未来のことならいくらでも変えられるってことだ。つまり」

 僕を信じて、もう一度。この先のきみの人生を預けてくれないか? 

 そう言って差し伸べた手が握り返された瞬間を、僕はもう二度と忘れはしないだろう。


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