【マクステマク】我逢人

すっかりハマってしまいました…。

不穏な雰囲気からのハッピーエンドが最高で、その点を自分なりに補足したくなりました。

MCU世界線で、マクステマクです。

お話はこちらで完結してますが、マーク視点の書き下ろしを載せて本を発行しました。



 僕はあまり記憶力が良くない。

 いや、興味のあること……たとえば古代エジプト史についてならいくらでも覚えられるし語れるけど。

 子どもの頃の記憶が朧げなんだ。

 でもこれまでちっとも気にならなかった。誰だって大人になるにつれて幼い頃の些細な出来事なんて忘れていくものだと思うし、僕自身、なにもかも忘れてしまっているわけじゃなくて、優しい父さんと母さんに愛情たっぷりに育ててもらったという思い出がたくさんあったからね。

 

 父さんはいつも甘いお菓子やケーキをくれる。おかげで僕は大人になった今でも甘いものが大好きだ。

 母さんはおしゃべりが好きな人。一度話し出すともう止まらないんだ。

 大好きな母さんの話をきちんと聞いてあげたいといつも思うんだけど、僕って少しばかりのんびりとした性格だからさ。ぼんやりしているうちにうっかり大事なところを聞き逃してしまうことがしょっちゅうあってね。

 そういう時は申し訳ないと思いつつ、テキトーに相槌を打たせてもらってるんだ。話を聞いていないと知られて悲しませるよりもずっと良いと思って。そうすれば母さんも満足そうに話を終えるから。

 誰かに気持ちを打ち明けることですっきりすることってあるよね。僕もよく仕事終わりに路上パフォーマーの人に話を聞いてもらってるし。母さんの気が晴れるならって、子どもの頃は母さんのおしゃべりに付き合うことが多かったかな。

 大人になって離れて暮らすようになってからは逆に、僕のほうがおしゃべりになった。

 僕の母さん、すごく心配性なんだ。怪我はしてないかとか、病気になってないかとか。子どもの頃からいたって健康で大きな怪我ひとつしたことのない僕に、どうして母さんがそこまで不安がるのかわからないのだけど。

 ひとまず安心させるために、毎日朝と晩に電話をかけて、その日あったことを報告するようにしているんだ。

 ああ、報告するといっても全部じゃないよ。僕だって母さんに話せないことくらいあるさ。特にここ最近悩まされてる真夜中の徘徊癖については。どう説明したら良いかわからないし、余計な心配をかけたくもなかったからね。

 もっとも、気付いたら見知らぬ場所にいて、仕方なく母さんを頼ったことは何度かあるけど。そのことについては今のところ「方向音痴でしょうがない子ね」と納得してもらってる。

 

 自分のいる場所が分からなくなるほどひどい徘徊癖は大人になってからだけど、実は気を失うように眠ってしまう癖は物心がついた頃からあった。

 堪えられない程の強い眠気に、急に襲われることがあるんだ。誰かと話している途中であってもお構いなしにね。気付くとみんなの話が終わっていたり、ひどい時はどうやって帰ったのか目が覚めたらベッドの中で朝を迎えていたり。

 おかげで誰とも友人や恋人といった深い人間関係を築くことは叶わなかった。

 でも不満はないよ。だって代わりに、興味のあるたくさんのものと出会えたから。本を読んだり、博物館へ行ったり。学ぶことがとにかく楽しかったな。

 一時は学者になりたいと考えたこともある。発掘調査なんかに行けたら最高だよね。

 でも気付いたら博物館のギフトショップの店員になってた。

 どうしてだったかなあ……もうあまり思い出せないんだけど。たしか、ぼんやり過ごしているうちに学生時代があっさりと終わり、母さんが「なんでも良いからとにかく定職につきなさい」と急かしてきたもんだから、慌てて就職口を探したんだったと思う。いわゆるよくある話さ。

 けどまあ毎日好きなものに囲まれて働けるから、いまの仕事もそれなりに気に入っているよ。同僚のドナからは「勝手にツアーガイドの真似事をしないで」ってしょっちゅう小言言われてるけどね。でもみんな気軽に話しかけてくれる。良い人たちばかりだよ。

 そうそう、お金を貯めて長い休みをとり、いつか好奇心の赴くままにあちこち旅をしてみたいと思ってるんだ。実際に色々なものを見て、触れて、体験してみたい。

 わかってる。すぐには無理だよ。お金もないし、忙しいし。ガスの世話だってある。ガスは僕の飼ってる肩ひれの金魚さ。彼を置いて旅行にはいけない。

 なにより母さんに止められてるからね。言ったでしょ、すごく心配性なんだって。危ないからと車の免許も取らせてくれないくらいなんだから。

 僕自身、睡眠障害を抱えたまま遠出するのも不安だし、今は旅行好きの母さんが旅先から送ってきてくれる絵葉書を眺めるだけに留めてるいるよ。

 ああ、あとはね。僕、一人っ子なんだけど、もし兄弟がいたらって考えることが時々あって……え、もう十分? ごめん。僕、話しすぎちゃったかな。やっぱりおしゃべりなところは母さんに似ているのかも。

 

 ずいぶん懐かしい夢をみた。懐かしいといっても、つい数ヶ月前のことだけど。僕の生活はここ一ケ月で大きく変わってしまったから、なんだか遠い昔のことのように思われる。

 夢の会話は、産業医のカウンセリングを受けた際のものだ。よくよく考えてみれば辻褄の合わない点がたくさんあるというのに。鈍い僕はなにひとつ大切なことに気付かず、ただただもう一人の僕が与えてくれる幸せで素朴な人生を享受していたのだった。

『……スティーヴン』

 声に反応して体を起こすと、ベッドの正面にかけられた鏡の中の自分と目が合った。鏡の自分は同じ顔であるはずなのに、心なしか凛々しくみえるのだから不思議だ。

「おはよう、マーク」

 鏡に向かって話しかけてみる。少しの間ののち、『……おはよう、スティーヴン』と彼は返してくれた。

 かすれた声はまだ少し眠そうで、それがまたかっこいい見た目とギャップがあって微笑ましい。

 思わずふふっと笑ったら、『……なんだよ』と睨まれた。出会ったばかりの頃は、こうした彼の、僕にはない表情を恐ろしいと感じたし、何を考えているか分からない奴だと思っていたけど、いまはちがう。マークの考えていることは手に取るようにわかる。

『ほら、はやく顔洗ってこい。ホテルの朝食ビュッフェ、昨日から楽しみにしてただろう?』

 マークが考えているのは、僕のことだ。

 僕のことをいつも一番に考えてくれている。

 それが嬉しくて、でも少しむず痒い。

「そうだった! ここの朝食はね、ヴィーガン向けのメニューが豊富だからずっと気になっていたんだけど、それだけじゃないんだ。一流のシェフが世界中の料理を提供してくれるんだって。だからきみの気に入るものもきっとあると思うよ。マークはどんなものを食べてみたい?」

 僕だってマークのことを一番に考えたい。誰よりも身近な彼のことをもっと知りたい。

 だけど、いつだってマークは、

『食えればなんでも良い。俺のことなんか気にせず、お前が好きなものを選べよ』

 と返してくる。

 食事だけじゃない。どこに行くのも何をするのも。「なんでもいい、スティーヴンの好きなようにしろ」だなんて。せっかく意識を共有できるようになったのに、これじゃあ一人だった頃となにも変わらない。

 マークは分かってないんだ。僕は彼と二人で生きていきたいということを。

 だから僕は顔を洗いながら、食事の席についたらマークと体を入れ替わってやろうと決めた。僕はマークのおかげで好きなことを思うままに楽しませてもらったのだから、今度はマークの番だ。彼に好きなものがないなら、これからつくっていけばいい。世の中には僕らの知らないものがまだまだある。その中にはきっとマークの気に入るものもあるはずだから。

「朝食が済んだらどこへ行こうか。マークはこの国に来たことあるんだよね?」

 朝食のビュッフェ会場へ向かいながらイヤホンを耳につける。手には電源の落とされた真っ暗な画面のスマートフォン。こうすることで、周囲にはビデオ通話をしているように見せられて、僕らも安心して会話ができる。

『来たことがあるといっても仕事で立ち寄っただけで、観光地は知らないぞ』

「じゃああとで一緒にガイドブックを見てみようよ。昨日はそんな余裕なかったし」

『お前が入国審査で引っかかったせいでな』

 ふいにからかわれ、とっさに「言わないでよ……」と返しながら羞恥で熱くなる頬を手でおさえた。

 昨日、旅に出て早々僕は苦い思い出をつくってしまったのである。

 ロンドンをたつ時、自分で飛行機に乗ったことのない僕のためにマークが体を貸してくれた(前にエジプトに行った時は彼に主導権を握られていたからね)のだが、その際に使用したパスポートは当然マークのもので。

 名前を聞かれたらマークの名前を答えるようにしないとということは意識していたのだけど、まさか「人相が違いすぎる」という理由で足止めを食らうことになるとは思わなかった。

 必死で険しい表情をつくってどうにか解放してもらったのだけど、マークとの旅行に水をさされたのはたしかだ。同じ顔なのにどうして……と恨めしく思ったものの、驚いたことにどうやらこの出来事がマークのツボにハマったらしい。

『よほど気の抜けた顔をしていたんだろうな。お前らしくていいじゃないか』

 そう言ってくつくつと笑う彼をみていたら、落ち込んでいる自分が馬鹿らしくなった。こんなことで険しい表情が常である彼から笑顔を引き出せるのなら安いものだと思ってしまう。叶うなら次のパスポートの更新時には僕が提示しても不審に思われないくらい彼の表情が和らいでいると良い。

 僕は今回の旅行でマークの笑顔をもっとたくさん引き出したいと計画している。苦い思い出のある地ならなおさら、良い思い出に塗り替えられるように。

 僕にできるだろうか。わずかな不安がよぎったが、「いや、きっとうまくいくさ」と前向きで恐れ知らずな僕は考えている。

だって、まともに旅をしたことのない僕と自分の好きなものを知らない彼の二人きりのひとり旅は、まだ始まったばかりなのだから。


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