【トニキャプ】舌を噛めるならとっくにそうしてた

※気のあわなかった二人が付き合うまでの話。

※時系列はIM3〜WS登場前くらい

こちらのお話は完結していますが、アフターストーリーを加えて、7/7 ムパラにて小説本を頒布しました。



 タワーに着いた時、スタークはすでに酔っていた。僕もそれを承知で晩酌に付き合うことを決めたのだから、一方的に彼を糾弾する気はない。  すべては酔っ払いの戯れ。ある種の事故だったのだ。  「程々にしておけ」と釘を刺して早々に立ち去るべきだったし、実際そうしようとしていたのだけれど。  唇を重ねられた瞬間。  身体が硬直して動けなくなった。  キスの経験がなかったわけじゃない。過去二度ほど経験はある。  けれどそのどれも一瞬の触れ合いで。  これほど濃厚なものは。  この酔っ払いのキスほどしつこく深い口付けは。  はじめてだった。 [chapter:舌を噛めるならとっくにそうしてた]  トニー・スターク。ハワードの息子。  彼ははじめから僕のことを良く思っていないようだった。  出会って数分で「物を知らないな」と悪態を吐かれた時には面食らったものだ。彼もフューリーから資料を受け取っていただろうから、直感で「そりが合わない」と感じていたのかもしれないが。  だとしても、これから同じ任務に就こうとする者の神経を逆撫でるような物言いを何故するのか、理解できなかった。ハワードも冗談を言うのが好きな男だったけれど、彼はともに戦う仲間へ一定の敬意を払ったし、なにより場の雰囲気を明るくする天才だった。  親子なのに似ていないな。これがスタークの第一印象だ。その後、彼の印象は乱高下することになる。  僕らに与えられていた任務はロキから四次元キューブを取り戻すこと。馴れ合いは不要だが、チームで動く以上戮力協心は不可欠だった。そのためにスタークへ向けて放った、和を乱す言動は慎むべきといった類の言葉に関して訂正するつもりは今もない。しかし。 「ヒーローのフリをするのはやめたほうが良い。君は自分を犠牲に出来る人間じゃない」  この発言だけは。売り言葉に買い言葉であったとはいえ、この言葉だけは。  彼を評するのに最もふさわしくない言葉だったと今では思う。 「鉄条網が目の前にあったら? 僕なら身を投じることなんてせずに、その鉄条網を切るね」  そう軽口を叩いていた男が、単身、核ミサイルを抱えてワームホールへ飛び込み、地球を救ったのだ。  彼がヒーローでなかったとしたら、なんだというのだろう。  ニューヨークの戦いのあと。僕は見聞を広めるため旅に出た。  宇宙人との戦いという未知の経験を経て、目覚めたばかりの頃のショックがわずかに和らいだ僕は、少しだけ前を向こうという気持ちになったのだ。  振り返って考えてみても、このタイミングで一度アベンジャーズからもシールドからも離れ、一人の時間がとれたことは幸いだったと思う。改めて、冷静に現代を見つめることができたのだから。  ここが1945年ではないということも。どうあっても1945年に戻ることはできないのだということも。全てを受け入れ、受け止めて。僕は旅先で聞きかじった現代の情報を片っ端からメモ帳に書き込んでいった。  そうして各地を巡り、再びニューヨークへ帰ってきた時。そこに出会った頃の自信に満ち溢れたトニー・スタークはいなくなっていたのである。  帰還の報告でシールドを訪れた際に鉢合わせて驚いた。スタークは目の下に濃いクマを浮かべ、ひと回り老け込んで見える程やつれていたからだ。思わず「大丈夫か?」と声を掛けたのだけれど、彼は「なにが?」ととぼけて、なにも教えてはくれなかった。  強迫性障害による不眠症とスーツ依存症。  憶測でしかないけれど、と前置きしたうえでバナーはトニーの変わってしまった要因をそう説明してくれた。彼も詳しい事情は分からないそうだが、これでも症状は落ち着いてきたほうなのだという。 「あれで?」  尋ねると、バナーは肩をすくめてみせた。  旅に出る際、僕は通信機の類を携帯しなかった。現代のテクノロジーをまだ使いこなせる自信がなかったのと、求めもしない情報が絶えず届くことが煩わしかったためなのだが……スタークとの再会のあと、携帯するべきだったと後悔した。  通信機を持っていたところで、素直に頼ってくる相手ではないことは分かっている。  だが、それでも。もっと気にかけるべきだった。軍人である僕は、戦場が肉体だけでなく精神にも深く影響を及ぼすということをよくよく知っていたのだから。ましてやスタークは民間人。訓練を重ね、覚悟の決まっている兵士でさえ苦しむというのに。いったい彼はニューヨークの戦いでどれほどの見えない傷を負ったことだろう。いっそ彼がただの天才で金持ちのプレイボーイだったらよかった。そうしたら遠慮なく引退を勧められたはずだ。道楽で戦場に出るべきではないとたしなめて。  しかし彼はちがった。皮肉屋で、なかなか人に本心を見せないため僕も誤解していたけれど。  内には確固たる正義と、善良な心がある。それがアイアンマンというヒーローなのだ。  きっと彼は僕がなにを言ってもヒーローであり続けようとするだろう。そしてチームにとって、いや僕にとっても。そういう男が必要なのだと思う。  その日僕は、フューリーから預かった書類を渡すという名目でスターク・タワーを訪れた。  手渡しでは受け取らない男だという噂は耳にしていたけれど。あの再会以来顔を合わせる機会がなかったので、少しでも様子が伺えたならそれで構わなかった。  ジャーヴィスに入室を許可され、エレベーターで最上階まで上がる。扉が開いた瞬間、 「ようこそ、キャプテン! よく来てくれた。まさか君のほうから来てくれるとは思わなかったよ。なんといってもここは醜いタワーだからな。君の美的センスに反するだろ? ……ああ、手渡しは嫌いなんだ。シールドのお使いならテーブルの上に置いてくれ」  予想に反して熱烈な歓迎を受けた。これほど陽気な彼を見るのは初めてだったもので少々面食らったものの、肩に腕を回された途端にアルコールのかおりが鼻先をかすめ、理解した。時刻は午後六時。夜と呼ぶにはまだ早い時間だったが、スタークはすっかり出来上がっていたのである。 「大丈夫か?」  声を掛けると、またもや「なにが?」ととぼけられてしまった。 「あー、酒のことを指して言ってるなら、お説教はやめてくれよ? 大したことない。このくらいいつものことさ」  そう言いつつ、先程から彼は僕の肩にもたれかかるようにして歩いている。足元がおぼつかない彼をソファまで導いて座らせると酒瓶に占拠されたローテーブルが視界に入った。仕方なく空になっている酒瓶を片し、空いたスペースに書類を放ったところで、ソファに沈み込むように腰掛けていたスタークから注がれる視線に気付いた。 「どうした?」 「……なにかしら小言を言われるんじゃないかと構えていたんだが」  なにも言わないのか?  訝しげな顔。その表情がまるで小言を言われないことが不満とでもいうようで。  つい噴き出してしまった。 「なにがおかしい!?」 「ふふ、いや……君は、なにか僕に怒られるようなことをしたのか?」  意地悪く問えば、彼はあからさまに顔をしかめた。 「それは、君が今からここで新作のスーツの機能を披露すると言い出したら全力で止めるだろうが……」  ピクリと反応した彼を視線で制止する。 「僕だって酒を浴びるように飲みたい夜があることを知っている」  失礼、と一言断ってから、テーブルの上の空のグラスを手に取り、部屋の隅に設置されたウォーターサーバーで水を注いで、 「もちろん加減は必要だが、限度を超えないなら今夜はお説教は無しだ」  と告げてから、トニーの手の中のウィスキー入りのグラスと交換する形で水入りのグラスを彼に手渡した。  手渡しは苦手だと言っていたのに、スタークは存外素直に僕からグラスを受け取った。 「……あんたでも酒の力を借りて忘れたいような過去があるのか」  彼の横に腰掛けたところで、小さな呟きが耳に届いた。  問いかけなのか分からないほど不鮮明な呟きだったけれど、 「あるよ」  いまの彼には誠実でありたかったので、僕は正直に答えた。すると彼は心底驚いたという顔をして、 「いつ? どんな時だ? 女性に振られでもしたのか?」  と矢継ぎ早に問いかけてきた。いったい彼はなにに驚いたのだろう。僕が自棄になることはないとでも思っているのだろうか。 「いや」  スタークの反応に若干困惑しながらも首を横に振ると、彼はどこかほっとした顔をつくり、 「そうだよな。女性関係には疎そうだし、代わりに振られた経験は豊富そうだから、そういちいち落ち込んでいたら身がもたないだろう」  といつもの調子で小馬鹿にしてきた。 「……うるさい」 「では、いつ?」  改めて問われたため、記憶を呼び起こしてみる。といっても70年前のことはどれもまだ昨日のことのように鮮明に覚えているけれど。  そうして思い出すのはいつも、列車から必死に手を伸ばし、掴み損なった腕だ。 「……親友を救えなかった日」  あの日ほど、血清の副作用で酒に溺れられないことを悔やんだ日はない。  僕の答えに、スタークはなにも返さなかった。おそらく、彼もバッキーのことを知っているのだろう。キャプテン・アメリカの武勇伝とともに相棒のことも現代に伝わっているようだったから。  代わりにトニーは、先程僕が取り上げたウィスキー入りのグラスを再び奪い取り、ぐいと仰いで空にした。それからテーブルに並んだ酒瓶の中から高級そうなブランデーを選び出して空いたグラスへと注ぐと、無言でブランデー入りのグラスを僕のほうへと差し出してきた。 「スターク? 僕は……」 「酔えなくても味は分かるだろう?」  そう問われてしまえば、受け取らないわけにはいかない。  僕がグラスを受け取ると、彼は流れるように自然な動きで、先程僕が手渡した水入りのグラスをこちらへ向けてきた。意図を察して、どちらからともなく笑う。と同時にチン、と小さな乾杯の音が響いた。  彼が選んでくれたブランデーは、甘酸っぱくて飲みやすかった。口に含むとほのかなぬくもりが広がり、静かに喉の奥へと落ちていく。 「……美味しいな」 「そうだろう。僕が選んだからな」  君が味のわかる男で良かったよ。  彼がそう囁いたのと、ギジリとソファが軋んだのは、ほぼ同時だったと思う。 「え」  警戒はしていなかった。全く。  だってたったいま気を許したところだったのだから。  彼が近づいてくる気配を感じたため、どうしたのだろうと彼のほうを向くと、眼前に、触れ合わんばかりの距離に、彼の顔があって。  実際、間もなく触れ合った。 「……んン!? ちょ、スタ……」  事態が把握するまで数秒、硬直。  それから、ハッと気が付いて止めようと口を開いたところで、奴の舌の侵入を許してしまった。 「ん、んぁっ……」  追い出そうと抵抗する舌を逆に絡め取られ、交わりながらどちらのものかわからない唾液が溢れる。  なんとか押しのけようと、迫る奴の胸に腕を押し付けたものの思うように力がこもらず、もどかしい。 「んん、ふぅ、ぁ……!」  口を塞がれて息が出来ない。苦しい。脳が、全身が痺れる。  こんな感覚は知らない。知りたくない。  ぎゅっと瞑った目からぽろりと涙の粒が溢れたところで、ようやく解放された。 「ぅ……はあ、はあ……」  息が乱れ、荒い呼吸を繰り返す僕に対して、スタークはわずかに紅潮していたものの至って涼しげな顔で 「やはり、美味いな」  と呟き、唇を舐めた。 「なあ、キャプテン……」  スタークから声をかけられ、ぼんやり彷徨っていた意識がふいに現実に引き戻される。はっと気が付き、力が抜けてソファに沈み込んでいた身体を気合いで起こすと、伸ばされた奴の手を払い落として、 「さ……酒は、程々にしておけ!」  なんとかその一言を絞り出し、体を引きずるようにしてスターク・タワーをあとにした。  その晩、自宅に帰ってからも僕が一睡もできなかったことは言うまでもない。  悶々とする気持ちをそのままにベッドの上で寝返りを打ち続けていたら、夜が明けていた。  最悪の気分のまま朝を迎え、シャワーを浴びるために立ち上がる。  いつもは眠気覚ましにシャワーの温度を熱めに設定しているのだが、今日はあえて冷水にあわせ、噴き出すシャワーの真下に頭から突っ込んだ。  スタークの突然の口付けが僕に与えた衝撃は、とてつもなく大きかった。あんなキスは経験がなかったし、そもそも僕たちは男同士だ(これは僕が1940年代の感覚だからかもしれないが)。キスは愛し合う者同士がするもので、だからこそ昂ぶるのだと信じていた。それなのに。  気持ち良かったのだ、すごく。  なによりそのことがショックだった。  キスの感触を思い返して、いや相手は酔っ払いだ今頃忘れているぞと思い直し、そんな相手に感じてしまった自分を思い出してショックを受け、再びキスの感触を思い起こす。その繰り返しだった。  もう二度とスタークには会いたくない……そう思ったところで当然、会わないわけにはいかず。数日後、シールドの本部で僕たちは再び顔を合わせた。  専門用語を交えながらフューリーと話すスタークをちらと盗み見る。彼の様子はいつもと変わらなかった。変わったところといえば、心なしかクマが薄くなり、血色が良くなったことくらいか。もし本当に彼の調子が良い方向へ向かっているのなら、あの日の訪問も無駄ではなかったと信じたいが。 「キャプテン」  ミーティングが終わり、ぞろぞろと退席する人の流れに乗じて何食わぬ顔で出て行こうとしていたのだけれど。他ならぬスタークに呼び止められてしまった。  ぎぎっと錆びた金具の音がしそうなほどゆっくりと彼のほうへ顔を向ける。 「……なんだ」 「あー、その……先日は訪ねてくれてありがとう。フューリーからの資料も事前に目を通すことができてよかったよ。おかげで今日のミーティングもスムーズにすすんだ」  だよな? と同意を求められ、そうだなと頷く。 「それで、あの日のことなんだが……」  いつもは饒舌なくせに、今日はなんだか歯切れが悪い。あの日のこと、が彼が泥酔していた日のことを指しているのは明らかだ。だからこそ続く言葉が気になった。あの日僕らの間で起こったことを、彼は覚えているのか。はっきりさせてほしい。もちろん、できることなら忘れていてほしいけれど、しかし。 「悪いがなにも覚えていないんだ」  僕は君になにかしただろうか? と尋ねられた拍子に、すっと肩の力が抜けるのを感じた。 「おぼえていないのか」 「ああ」 「……なにも?」 「いや、あんたがタワーに来たことはかろうじて覚えてる。けど、その前から飲んでいたからな。記憶が曖昧で……もしかしてあんたに新作のスーツのお披露目でもしたか?」  僕はしずかに首を横に振って彼の問いを否定した。  スタークは覚えていない。なにひとつ。  それはなによりだ。あんなこと、おぼえていたって仕方がないだろうし。 「スティーブ」  あとは僕が忘れるだけだ。それで良い。  それだけであの日、僕らの間にはなにもなかったことになるのだから。 「おい」  突然。がっとスタークに肩を掴まれ、思考を引き戻された。 「あんた、一体どうしたいんだ?」  そう問われても、なにを指して言っているのか分からない。  困惑していると、彼は大仰な溜息を吐いてみせ、 「あんたが忘れてほしそうな顔をしていたから、こっちは話を合わせてやったんだぞ!?」  それなのに、ああっと彼は自身の頭を掻き毟り、 「今度はそうやって寂しそうに……まったく、あんたは一体どうしたいんだ!?」  僕を振り回して楽しいか! と叫ぶ。 「スターク」 「なんだ!」 「君……もしかして、おぼえているのか?」  おそるおそる問いかけてみる。  すると彼は少々ばつが悪そうに、 「……残念ながら、アルコールで記憶が飛ぶタチじゃないんでね」  と答えた。  つまり、彼は記憶を失っていなかったということだ。  だとすれば……どうなるのだろう。あの日のことは。 「先に断っておくが」  そう言って彼は僕の肩を押し、会議室の隅へ、廊下の窓から見えない死角へと導いた。  意図は読めないながらもおとなしく従うと、僕の背中は壁にぴたりとついてしまう。 「僕はただの同僚にキスをする趣味はない」  嫌だったら今度こそ舌を噛み切ってでも止めてみろ。  スタークはそんな無茶な要求をするや否や、前と同じ、いやそれ以上に深く、僕の口を塞いだのだった。


あにま。

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