Raised on Radio(トニキャプ)
「TCALにレギュラー出演してみないか」
そうスタークに声をかけたのは、プライベートで彼と食事を重ねるようになってしばらくの頃。ニューヨークの戦いから1年が経とうかという時期だった。
二人での食事の際、店選びはスタークに一任している。僕は現代の店に疎いし、そもそも彼ほど舌が肥えていない。食事の誘いもスタークからが常だったので、ずいぶんと甘えさせてもらっていた。 美食家のスタークにかかれば、庶民的なファストフードからセレブ御用達の隠れた名店まで、いつだって最高の店へと案内してもらえる。今回は後者だったようで、奥の個室に通されるやいなや芳醇な香り漂うフレンチのフルコースが提供された。店の雰囲気も提供される食事も。すべてが洗練されている。スタークはこの店の常連なのだろう。慣れた所作でウェイターに応対する彼は、相変わらずスマートだった。
食後酒を飲み交わし、歓談に一区切りついたところで僕は冒頭の話題を慎重に切り出した。
TCALとは、ニューヨークのFM放送局「Where NY Favorite's Live(通称「WNFL99.9」)」で毎週金曜日の22時から放送している「This "Captain" American Life」という番組の通称である。
その枠は現在僕がパーソナリティを務めており、ある程度の融通がきいた。もとよりレギュラーゲストへの推薦対象があのトニー・スタークなのである。事前に番組スタッフに相談してみたところ、反対するどころか「是非!」と強い圧でもって返された。
実をいうと、スタークに声をかけるのは今回がはじめてではない。というより彼と食事を共にするたびにそれとなく誘いをかけてきた。
スタークから毎週僕の番組を欠かさずに聴いていると聞いて嬉しくなり、「だったら出てみないか」と誘ったのが一度目。スタークからは「急な話だな。残念だがまだ気持ちが追いつかないよ。なにしろ僕はきみの番組のファンだからね」と返され、さすがに自分でも性急だったと反省した。
二度目は彼が僕の番組の感想を熱心に話してくれたとき。「キャプテンとリスナーの掛け合いはいつも最高だが、先週のはベスト10に入るかもしれないな!」と楽しそうに笑うので、「スターク、きみがパーソナリティだったらどう返した?」と尋ねてみたところ、「さあ、どうだろう。TCALのリスナーはキャプテンが相手だからこそ最高のリアクションを返すのさ」と流されてしまった。三度目も四度目もそうだった。はっきりとした拒絶は示されないものの、それとなくかわされてしまう。もっとも、二度目から四度目に関しては勧誘というには回りくどく、意図が正確に伝わっていなかったのかもしれないが。
そこで五度目の今回。僕は中途半端な勧誘を辞め、はっきりと誘いの言葉を口にしてみることにしたのである。
「新たにきみとふたりでTCALを盛り上げていきたいんだ」
もちろん社交辞令などではない(今回もこれまでも、だ)。話し上手の彼ならきっと番組を盛り上げてくれるだろうという確信があったし、なによりプライベートで彼と接してみてわかったのだ。トニー・スタークという男がひどく他人から誤解されやすい人物なのだということが。
有名税と言うべきか。いやそれにしてもひどい、低俗で下劣な評判がスタークには常につきまとっていた。
恥ずかしながら、かくいう僕も出会った当初は彼に誤った印象を抱いた内の一人である。傲慢で自分本位な皮肉屋。そういう側面が彼にあること自体はいまも否定しない。だが、それは彼を表すすべてではないことを僕は知ったのだ。
短い期間。まだ数えるほどだけれどスタークと交流を重ねるなかで、僕は彼の心の柔らかい部分に少しだけ触れられたような気がした。ふだんメディアで人を食ったような態度と発言ばかり繰り返している彼は、身を挺してニューヨークを救ったヒーローであり、プライベートにおいては気さくでユーモアのセンスのある、実に気持ちの良い男だった。
そうして彼の内面に触れれば触れるほど、雑誌やテレビでのスタークの悪評が引っかかるようになっていった。
画面の中でろくに話したこともないであろうタレントたちが好き勝手に彼をこき下ろしている。我慢ならなかった。誰だって友人が貶されているところを見過ごせないだろう。
「友人」
口元に手を当てて僕の言葉を復唱するスタークに、
「数回プライベートで食事をした程度で友人を名乗るのは、気が早かったかな。しかし同僚としても……」
「いや! どうか友人のままで。僕もそうなれたらと期待を込めてこれまで食事に誘っていたからな」
だがまさかあのキャプテンからそこまで評価してもらえているとは思わなかった。
スタークの大げさな物言いには苦笑するしかない。アメリカいちのセレブがなにを言うのか。そう返せば「きみは己の影響力を自覚していない」と逆に諭されてしまう。
キャプテンアメリカがいかに優れたヒーローか、キャプテンアメリカがパーソナリティを務めるTCALという番組がどれほど素晴らしいか。
懇懇と語られたところで、僕がそのキャプテンアメリカ当人なのだが。よくもまあ本人を前にしてそこまで……と気恥ずかしくなり、「もういい、わかった」と彼の話を遮る。
「きみ、ほんとうに僕の番組が好きなんだな」
「そうだと何度も伝えているはずだが。まだ足りないか?」
再び口を開きかけたスタークを「いや、もう結構」と制する。ここまでの熱意があるならば、オファーの根拠として十分だろう。
「それじゃあ、受けてくれるということで良い…」
「断る」
最終確認の言葉は食い気味に断ち切られてしまった。まさに即答。一瞬飲み込めず、「え」と間の抜けた声が口から零れる。
「なぜ?」
スタークほど僕の番組への愛に溢れた人は、スタッフの中にだってそうはいない。メディア対応も僕以上に慣れているはずだ。
「スケジュールの調整が難しいなら収録でも……」
「収録!? おい、馬鹿なことを言うな。生放送だからこそ予想のつかない番組展開、飾らないキャプテンの言葉、リスナーの素のリアクションが楽しめんだ。このリアリティこそがきみの番組の最大の魅力だろう!」
一の言葉を十の勢いで返され、閉口する。そこまで番組の利点を理解しているのなら。
「どうして断るんだ?」
僕の問いに、「むしろなぜわからない?」とスタークは憤ってみせた。
「私の出演をのぞむ奇特なリスナーがいるとでも思うのか。少なくとも私だったら、私のようなレギュラーゲストの出演を許可した局に抗議のメールを毎日送りつけるだろうね。良いか、きみの放送は週のうちで二時間だけだ。たったの二時間だぞ? リスナーの通話時間を除くとなると実質もっと短い。その貴重な時間をレギュラーゲストなどという不純物でさらに削るだって? 正気の沙汰とは思えないな!」
言っておくが、ここまでノンブレスである。ひとつ、先程の表現を訂正しなければならなくなった。スタークを相手にすると一の言葉は百で返される。
よくここまで舌が回るものだと的外れな感心をしていたら、「聞いているのか?」とじとりと睨まれてしまった。
正直な話。彼の思いの半分も汲めているとは思えないが、出演に抵抗があるということはひとまず理解できた。とはいえ僕とて単なる思いつきで提案しているわけではない。
「TCALへの出演が嫌なら、別の番組を企画したってかまわない。きみは僕に自分の魅力がわかっていないと言うけれど、僕からすればきみだってそうだ。僕はきみの魅力がもっと世間に正しく伝わるべきだと思っている。メディアを通じて広まったきみの粗悪なイメージは一刻も早く払拭するべきだ」
WNFLが無理でも、きっとどこかの局が受けてくれるはず。ありがたいことにTCALの評判を聞きつけた他局からの出演依頼も増えてきているから……と、頭の中でスタークが納得するプランを思案する僕の前で、スタークははあ、と大仰なため息を吐いた。
「キャプテン。私のメディア対応はパフォーマンスだ」
パフォーマンス、気の抜けた僕の復唱に、スタークが丁寧に言葉を添える。
「炎上マーケティング、そう言い換えても良い。もっともマーケティング1.0年代・製品消費社会出身のきみにはいずれにしても理解し難いだろうが。インターネット普及以降の現代ではありふれた手法なんだよ」
スタークの説明を要約すると、常識から外れた者は時に人の好奇心をくすぐる。だから彼はあえて派手な振る舞いをすることで世間の注目を集めている、らしい。
「きみの心遣いはありがたいが、僕は有象無象からどう思われていようが興味はないんだ。ただ僕の近しい人たちが誤解することなくありのままの僕のことを受け止めてくれるだけで良い」
スタークはそう言って僕の手を取り、その甲に小さく口付けをしてみせた。「スティーブ、きみが本当の僕を知っていてくれさえすれば」と囁いて。まったく。こんな芝居じみた気取った仕草すら様になるのだから恐ろしい。けれど彼のいう僕らだけが共有する秘密というものは、たしかになんとも甘美な魅力をはらんでいた。
この感覚はなんだろう。たとえるなら。
「……バッキーと昔つくった秘密基地みたいな」
口をついて出た小さな呟きを拾ってスタークがなにやら反応していたが、手の甲の熱を帯びた余韻に浸る僕の耳は都合よくそれをスルーした。
彼が僕にだけ見せる一面はくすぐったく愛おしい。それゆえに独り占めしてしまうのが申し訳ない気にもさせられるのだ。独占したい気持ちと皆に広く知ってもらいたい気持ちの矛盾。
やはり折を見てまたオファーをしてみよう。
きっときみは頑固だと言ってあきれるだろうけれど。
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