四を通して見る洛の話(紙切れ開始5分前)【永遠のブルー】
四を通してみる洛の話(紙切れ開始5分前) 洛四のつもりで書き始めましたが、いつもの通り友情の始まり(始まる前)の話です。
九龍城砦は無法の地だ。身分証がなくとも警察に捕まらず生活していける代わりに、人の命が驚くほど軽い。昨日まで笑っていた人間が、次の日に冷たくなっているなんてことはザラにある。
亡くなった者を埋葬する場所もないので、城砦の外(通称「公衆便所」)に運び出して、外の者に任せることになっている。人の死が身近過ぎるあまり、皆、事務仕事のように淡々と遺体を処理していく。
亡くなった者が住んでいた部屋はその日のうちに次の入居者が決まり、遺品は瞬く間に姿を消す。生前親しかった者さえ悲しみを引きずることはなく、翌日には仕事に精を出している。
はじめから亡くなった者などいなかったかのように、忙しない日常が途切れることなく続いていく。
誰もが明日は我が身と、今日を生き抜くことに必死なのだ。だからこそ生きている者同士が自然と手を差し伸べ合えるのだろう。亡くなった者にしてやれることはあまりに少ない。だからせめて生きている間は。
傷ついた体を引きずるようにして城砦内をさ迷う洛軍を目にしたとき、俺はなんのためらいもなく龍捲風を頼るよう指示した。
洛軍のように行き場のない者が城砦に流れ着くことは珍しいことではない。これまでも幾人もの似た境遇の者に同様の声かけをしてきたし、俺自身、最初にここへやってきたときは見知らぬ誰かの導きによって龍捲風を頼ることができたのだ。
……まさか洛軍の傷の元凶が龍哥だったとは。ひと目見ただけでわかるわけがないだろう。
「ついさっきぶちのめされた相手のところに案内される身にもなってみろよ。龍哥と目が合ったときの、あいつの引きつった顔と言ったらなかったぜ」
そう言ってしつこく揶揄してくる信一を小突いて黙らせると、俺たちの話を聞いていた十二が「ここに来て早々、龍哥に盾突く奴がいたとはな」と口を開いた。
「紹介しろよ。そろそろ三麻にも飽きてきたし」
「どうせ誘っても来ねえよ。金貯めて身分証を買うんだって四六時中働きづめだからな」
「そいつ、大ボスに騙されたんだろ? 懲りない奴だなあ」
などと十二が返したところで、二人の関心は別の話題へと移っていった。
洛軍は俺たちと年が近いし、骨がありそうな興味深い人物ではあるものの、特段目立つ男ではない。人であふれかえる城砦においていずれは埋没して、消えていく。そんな存在だろうと俺も思っていた。
再び洛軍と相まみえたのは、それから数日後。遺体の検分のため信一に呼ばれて足を運んだ先でのことだった。
遺体の検分を頼まれるのは今回がはじめてではない。城砦には腐るほど医者がいるというのに何故か龍哥はいつも俺を頼った。検分したところで、事件にしろ事故にしろ公衆便所に遺体を捨てに行くことに変わりはないのだが。
龍哥は城砦で亡くなった者のすべての最期を知ったうえで、見送りたいのだと思う。そうして翌朝、天后古廟に線香をあげに行っていることを俺は知っている。だから俺も彼からの頼みを断らない。医者として救えなかった命の最期の訴えに耳を傾ける。ここでの弔いが不十分であることを承知のうえで、それが俺にできる唯一のことだと己に言い聞かせていた。
だが女の遺体に上着をかけてやる洛軍を目にした瞬間。遺体をいたわるという、ごく一般的な感覚が蘇ってきた。
そうして彼から続けて発せられた、「殺されたのがわかっているのに、何もしないのか」という言葉に、抑え込んでいた感情がにわかに形をつくりはじめた。
そうだ、理不尽に奪われていい命などこの世にひとつもないのだ。死因を把握して弔った気になって終わり、本当にそれで良いのか。下手人が不良警官だろうとなんだろうと関係ない。ここが無法の地であることにあぐらをかいて横暴にふるまうのであれば。それならば。
遺体の処理を終えると、俺はまっすぐ売店へ向かった。
子ども向けの玩具や駄菓子を扱う街角の売店。そこに大人でもうまい具合に顔を隠せるサイズのお面が売っているのは分かっていた。その日俺は、ふだん複数個置いているお面のうちの最後のひとつを手に取った。
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