【トニキャプ】ないものねだり
以前アップした
の続きのような、似た世界線のような、なステ後天的女体化小説です。
トニキャプ付き合ってるけど、トニーがフライデーされてしまう話。
この作品で完結してますが、書き下ろしを添えて本を発行予定。
はじめは小さな違和感だった。胸がつかえたような、わずかな不快感。
それは次第に悪化していったが、僕は努めて気付かぬふりをし、普段通りにふるまった。
ふるまえていた、と思う。
けれど運悪くその日の任務の相棒は勘の鋭い彼女で。
「そんな顔するくらいなら、休みなさいよ」
ヘッドクォーターで対面するなりナターシャはそう言って眉をひそめた。
「そんな顔って」
どんな顔だ。問う声は彼女の胸に埋もれて消えた。
そうして優しく僕を抱きしめる彼女の穏やかな鼓動を耳にするうち、なぜだか僕は無性に泣きたくなった。いつだかの、サムとバッキーと話し込んでいる僕を不機嫌そうに睨むトニーの顔が頭をよぎる。あの時の彼もこんな気持ちだったのだろうか。想像すると、己の鈍感さに嫌気がさした。
暗然たる気持ちに包まれたその日。
トニー・スタークの熱愛報道が、メディアの話題を席巻した。
ないものねだり
スーパーソルジャー計画により血清を投与された僕の人生は、文字通り一変した。
僕は強靭な肉体を得た代わりに、身体的性別が女性へと変わってしまったのである。原因は「ホルモンバランスが大きく乱れたため」という推測がなされたものの、成功事例が僕ひとりだけだったがばかりに解明には至らなかった。
結果「もやしと揶揄されるほど貧弱だった男が、強靭な肉体を得た代償に女性へと性転換した」という事実だけが残ったというわけだ。
この経歴の通り、僕は成人まで心身ともに男として生きてきた。ゆえに当然、戸惑いもあった。とりわけ国債売りのティンカーベルとして扱われていた時期は、数多向けられる不躾な視線が疎ましかったことをはっきりと記憶している。
正直、この国を平和にしたいという大きな志をもってしても、信頼できる仲間たちがそばにいてくれなかったら耐えきれなかったかもしれない。
幸いなことに、僕は仲間に恵まれていた。ハワードも当時の僕を支えてくれた一人だ。
彼は任務外でも僕のことを気にかけてくれ、本当によくしてくれた。
まあ、血清投与後最初の会話で「フォンデュ」に誘われたときは、やましい用語と勘違いして衝動のまま彼の腕をひねり上げてしまったけれど。だって妙な視線とともに誘われたからてっきり……しかしむしろこの一件があったからこそ、彼と打ち解けることができたのではないかとも思っている。
思えばハワードの息子・トニーとの初対面時も同じくらい、いやそれ以上に最悪だった。
「やあ眠り姫。若さの秘訣は氷漬けだってこと、美容番組で宣伝してきたかい?」
今では聞き慣れたトニーの皮肉。だがはじめてぶつけられたときはずいぶんと面食らったものだ。
かくいう僕も売られた喧嘩を買い、
「軽口は父親譲りなのかもしれないが、ジョークのセンスはハワードに遠く及ばないようだな」
捻り出した言葉が彼のコンプレックスを盛大に刺激してしまい、僕らの関係は修復不可能なレベルまで拗れに拗れた。
振り返ってみると関係の回復までにずいぶん回り道をした気がする。一時はアベンジャーズを解散する事態まで至ったというのに、その後「恋人」という間柄で落ち着いたことは未だに自分でも信じられない。
……そう。複雑でややこしい経緯を経て現在、僕とトニーは「恋人」という関係にある。
もっともそれは、彼に解消の意思がなければの話だが。
数多の女性と交際してきたトニーがなぜ僕をパートナーに選んだのか。実は交際を始めて半年経った今も定かではない。
先述の通り、僕は肉体だけが成人後に突如として女性化した奇怪な存在だし、そうでなくとも僕らの相性は最悪だったはず。
思えば「恋人」という間柄になってからというもの、トニーの僕への態度は目に見えて軟化した。皮肉やジョークに以前のようなトゲがなくなり、さりげないエスコートもスマートで嫌味がなかった。
一方の僕はというと、その急激な変化についていけず、
「無理はしなくていい。もっとふつうに接してくれ」
と事々訴えてきたのだがそのたびに
「僕がしたいからしているんだ。大切な人には尽くすタイプなもんでね」
どうか慣れてくれ。などと甘い口付けでもって返されるものだからキャパシティがオーバーし、それ以上なにも追究できなくなってしまったのである。
それならばと「一体トニーのどこに惹かれたのだろうか」と自問してみた。
結論。僕は彼の、決して僕を特別扱いしないところに惹かれたのだろうと思う。
奇妙な体のことも、キャプテンアメリカという肩書きも。「だからどうした」といわんばかりのあの態度。時に不遜で横柄に思える対応も、素直ではないその性格を知ってからは逆に好ましさをおぼえるようになった。
決して侮ることはなく、どこまでも対等。
彼は僕を一人の人間として尊重してくれていた……はずだった。
トニー・スタークの熱愛の報道は、他ならぬトニーからもたらされた。
なんの前置きもなく「説明させてくれ」との一報を受けて彼の家を訪ねたところ、ぺらりと一枚のゲラを見せられたのである。 そこには彼と美しい女性(芸能に疎いため誰なのかはわからないが、紙面にはスーパーモデルとある)、二人が親密に話し込む姿や、華やかな会場から身を寄せ合って退場する後ろ姿が写されていた。
「明日、各社メディアがこぞってとり上げるだろうが、まったく事実無根だ! きみのことだから気にしないだろうが、一応な。大方、最近私絡みのネタがないもんで焦ったんだろう。どこにでもある社交パーティの一場面をよくもまあこんな意味深く切り取れたものだと、ある意味感心するよ」
トニーは長年ゴシップ誌の常連だった。有名人かつプレイボーイである男の宿命とも言うべきか。 彼が最も敬愛する女性、ペッパーとの交際や破局を報じる記事もしっかりと既刊誌に残っている。特に二人が破局した際は連日大々的に報道され、芸能に明るくない僕でも目にしたほどだった。
トニーからペッパーとの破局の経緯は聞かされていない。だが二人がいまも良き友人であることは知っている。 一時の交際を経たからこそ、今では一層気の置けない仲になっているようだ。
――僕もいつかは彼とそのような関係性を築くことができるだろうか。
弁明の言葉を尽くしてくれている彼に申し訳ないと思いながらもつい、いつかの別れが頭をもたげた。
「……つまり、あいつのペニスを切り落とせば良いのね?」
ナターシャから不調の理由を問い詰められて簡潔に答えたところで、かくも不穏な相槌が返ってきた。慌てて、「い、言ってない! そんなことは一言も!」と返したのに、
「要約するとそういうことでしょう?」
「どこを切り取ったらそうなるんだ!?」
あまりに乱暴な解釈に驚かされる。だが、彼女に話したことでいくらか調子を取り戻すことができた。
ナターシャが慰めにと淹れてくれたコーヒーを口元へ運びながら、
「トニーに対して不満はない。本当だ。報道も捏造だとわかっている」
改めてはっきりと告げる。
「随分とあいつを信頼しているのね」
ナターシャは不服そうだけれど、日々胸焼けしそうなほどの愛の言葉を囁かれ続けた身からすれば、疑いようがないのだ。
「それなら、何が不満なわけ?」
こくりとコーヒーを飲み込み、思考する。
いったいこの胸のつかえはなんなのか。
「不満があるとすれば……それは僕自身に対してだ」
そう、僕はトニーと付き合い始めてからずっと不満があった。なにもかもままならないことに対して。掻き乱された感情がコントロールできず、もどかしい。
強くなりたいと望んで今があるというのに、大切なヒーローとしての任務を前にして集中できていない己の不甲斐なさに腹が立ってしかたがないのだ。
「だから要は、あいつに不満があるってことでしょ」
「……ナターシャ。僕の話を聞いていたか? 僕は自分の…」
「聞いてるし、わかってる。でも貴方の不満……不安と言い換えたほうがいいのかもしれないけど。それはトニーの対応次第で解消されるはずよ」
そもそもゴシップを信じていないなら、何故そこまで貴方は動揺しているの?
ナターシャの指摘に答えが詰まる。すべてを見透かしているかのような彼女の視線から逃れるように僕は俯いた。
本当はわかっている。ゴシップの内容は重要ではない。引っかかっていたのは。
「トニー。貸しひとつね」
ナターシャの声に反応して顔を上げると、入口で息を整えているトニーと目が合った。
走ってきたのだろうか。なかなか呼吸の落ち着かない様子の彼に構わず、
「キャプテンの代わりに任務へ向かったサムとバッキーの分もよろしく」
彼の肩口に手を置き、ナターシャが囁く。
「ああ……なんなりと」
トニーの返答を背中に受け、彼女はヘッドクォーターを後にした。
残されたのは僕とトニーの二人だけ。
どうして任務の予定がないトニーがここに…と疑問を抱きつつ、
「走ってきたのかい? 水でも取ってこようか」
と尋ねるも、首を横に振られてしまう。その後に言葉は続かない。
じわじわと沈黙が広がり、にわかに居心地の悪さをおぼえはじめたところで、
「……雑誌の件、改めてきみと話したい」
トニーが静かに口を開いた。
話題を提供してくれたのはありがたい。けれども残念ながらその話はすでに昨夜のうちに済んでいる。返す言葉も決まっていた。
(わかってるよ。信じてない。大丈夫だから)
だが次の瞬間。跪くトニーが視界に映り、頭に浮かべていた返答はどこかに消し飛んでしまった。
「今日のゴシップを明日、この話題で上書きさせてくれないか」
彼は片膝をついたまま、そう言って恭しく小さな小箱を差し出してきたのである。
丁寧に開かれた箱の中身がキラリと光った。銀色に輝く指輪。その指輪が意味することは、鈍い僕にもわかる。
予想だにしなかったトニーの行動に動けずいると、
「……きみはゴシップが苦手だと思っていた。大衆からヒーロー以外の姿を見られることも」
彼は少し言いづらそうに言葉を紡いだ。途端にふっと肩の力が抜ける。もしかしたらままならないのはトニーも同じだったのかもしれない。そう思えたから。
「ああ。僕自身、そうだと思いこんでいた」
まさか自分がこれほどトニー・スタークの熱愛報道に翻弄される日が来るなんて思いもしなかった。
トニーのことは信頼している。だがそれはそれとして、僕の知らない女性と親しくしているところを目にすると、胸がきゅっと締め付けられたように苦しくなるのだ。
僕と彼が特別な関係にあるという事実だけで十分。そうであるはずなのに、世間から「なんでもないこと」として扱われることにやるせなさをおぼえる。ああ、本当に。
「……恋愛ってままならないものだな」
「だが、悪くもない」
そうは思わないか。 問われた僕は、返事の代わりに左手を差し出した。
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