まだ龍兄貴といたいので、大人になりたくない信一の話
はやく大人になりたかった。祖哥哥のような。哥哥のそばにいて恥ずかしくないような。強くて賢くてかっこいい大人に。
「それならもっと冷静になれ」
俺の頬から垂れる血を哥哥が親指で拭いながら言う。喧嘩をして帰ってくるたびにかけられる言葉。冷静になれ。
それができたら苦労はしない。もう理由も忘れてしまったけれど、向こうが先に俺を怒らせるようなことをしたんだ。
「でも勝ったよ」そう伝えたら、「……そうか」とため息を吐かれて頭をぽんと撫でられた。ああ、また子ども扱い。
喧嘩が強いだけじゃ足りない。もっと賢くなって哥哥の役に立ちたい。
だから学校へも通った。本当は面倒だし退屈だし。勉強するくらいなら哥哥のそばにいたかったけど。経理が苦手な哥哥の代わりに会計を手伝うようになったら「信仔がいて助かったよ」と褒めてもらえたので、無駄な時間ではなかったと今では思う。
けれどそうして子どもでも大人でもない時期にさしかかると嫌でもわかってくる。俺が大人になるということは哥哥が年老いていくということだと。
『哥哥みたいな龍頭になりたい』
『はは。なんだ、俺に早く死ねっていうのか』
少しずつ現実味を帯びていく幼き日のやりとりから努めて目を背ける。年の離れた哥哥と過ごせる時間はあまりに短い。
子どもの頃には分からなかった城砦を取り巻く動揺も、次第に理解できるようになっていった。政府が調査と称して取り壊しの計画を推し進めようとするたび、哥哥をはじめとする大人たちは追い返している。だけど、どんなものにも永遠はない。これも幼い頃から哥哥に繰り返し言われてきたことだ。
「もしここが取り壊されたら、哥哥はどうする?」
ある日、客足が落ち着いて二人きりになった店内で尋ねてみた。哥哥は「さあ、どうだろうな」と煙草をくゆらせる。
瞳の揺れから俺の不安を察したのだろう。哥哥はふっと笑って、
「安心しろ。お前は賢い。どこでだってうまくやっていけるさ」
そう言って俺の手を握ってくれた。
ああ、哥哥はわかっていない。俺の抱える不安の正体を。
だけどそれを表に出すほど俺はもう子どもではないので。
「そうだね。祖哥哥が育てた俺だもの」
無邪気な子どもの振りをして甘えるように哥哥に抱き着いた。
あともう少しだけ。俺はまだ大人になりたくない。
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