龍兄貴の遺したレシピノートの話【くうになる】

「四仔って料理得意?」

 勝手知ったるといった調子で図々しく診療所に居座る信一から尋ねられ、作業の手を止める。

 料理を得意か不得意かで考えたことはない。生存に必要な栄養素を摂取するため、必要に迫られたらつくるだけ。それすらも億劫で七記冰室で済ませることが多い。つまり。 

「得意じゃない」 

 薬を煎じる手を再び動かしつつ、背を向けたまま答える。これで終わりだと思った会話は、「この通りにつくれるか?」と差し出されたノートの束によって途切れることなく続けられた。

 どうやらはじめから俺の返事は重要ではなかったらしい。腹は立ったが不満を口にするのも億劫で、差し出されたノートを黙って受け取った。

 日付の記されたシンプルな表紙。ノートの形状に統一感はないけれど、パラパラと捲ると細かな字が整然と並んでいるのが見てとれる。素朴な家庭料理から凝った自家製菓子まで。多岐にわたるレシピのなか、付箋の貼られた1ページで手を止めると、 

「材料はもうあるんだ。調理器具も必要な分は用意した。だからあと足りないのはパティシエだけってわけ」

 そう言って信一は食材の入った袋をこれ見よがしに突きつけてきた。 

 厚かましいを絵に描いたような男だ。俺の舌打ちを物ともしない。苛立ちは呆れに変わり、すり鉢の代わりに果物の甘い香りに包まれた袋を手に取った。

  信一が指定してきたのは3冊目のノートの最後から2ページ目。果物を使用した甘味で、大陸ではあまり目にしたことがないが、城砦に辿り着く前、市販のものを彼女とふたりで食べたことがある。さほど値が張るものではなかった気がするけれど、自らつくるとなると工程が細かく手間のかかる代物だということがわかった。

 とはいえ、手順と分量さえ誤らなければ問題はない。レシピの指示が正確で明快であることが大前提だが……とノートを読み進めるうち調理工程を示した章が終わった。数行の空白ののちに文章が続く。以降はすべて観察記録だ。

 食している子どもがどのような様子だったか。表情は。動きは。発言は。 

 ああ、これは俺が見て良いものじゃない。もしかしたら、つくることすら。 

「信……」 

 信一、やはりやめておこう。十分ではかもしれないが、俺はお前とあの人の特別な絆を知っている。そこに俺が入り込むのはちがうだろう。そう告げようとして、言葉に詰まった。なぜって、完成を待つ信一の表情が、あまりに朗らかだったから。あの人を亡くしてから目にすることがなかったその穏やかな姿に、俺はなにも言葉を紡げなくなる。

「ん? もうできたか?」

「……そんなにすぐできるか」

 絞り出した言葉とともに俺は袋から取り出した芒果をひとつ、信一に向けて放った。奴が器用にキャッチしたのを見届けて、「見てるだけで済むと思うな。お前も手伝え」と告げる。 

 俺は龍哥哥とちがってお前を甘やかすつもりはない。そう示したつもりだったが、信一は満ち足りた子どもみたいに笑っていた。