13歳のときの十二少が龍兄貴に救われる話
トリップするのはきもちいい。いやなことをぜんぶわすれられる。なにもかんがえられなくなって、バカになりそう。まあべつにどうでもいい。どうせもともとあたまのデキはよくないから。
アヘンよりヘロインのほうがマシ。なにがどうマシなのかと売人に聞いたら、「ヘロインは戦争を引き起こしてないだろ」とラリった笑顔で返された。よくわからなかったけど、マシなほうが良いか。それ以上深くは考えず(考えたところでどうしようもないので)盗んで得た金を売人に渡し、指定の場所に隠されたヘロインを手に取った。
もう何度繰り返したか分からない俺の日常。トリップして寝て、起きて、ヤク切れの頭痛と吐き気を堪えつつ苛立ち紛れに道行くごろつきへ喧嘩をふっかけ、隙を見てそいつらから金を盗み、その金でまたヤクを買う。
信一と出会ったのもそんなヤク漬けの日々の最中だった。
俺はふだん子どもは狙わない。この辺をうろつくガキはみんな、俺と同じで金を持っていないから。無駄な喧嘩はしないシュギ。俺なりにコーリツってやつを考えた結果だ。
だから信一とすれ違ったときも絡むつもりはなかった。ただヤクの抜けきらない身体がふらついて、ぶつかった。きっかけはそんなもの。俺も大概だけど、あいつも相当な短気だ。そこから小競り合いに発展。どちらが先だったかドスを出し、切りつけ合ったお互いの体から血が噴き出した。傷は浅かったが、俺のほうはヤク切れの発熱で限界がきたらしい。そこで意識が途絶えて、気付いたら理髪店の椅子に座らされていた。
怒鳴り声で目を覚ますと、横で信一が龍哥哥からげんこつと説教を食らっていた。思えば龍哥哥がここまで信一に怒っているところを見たのは後にも先にもこの時だけかもしれない。
「喧嘩は良い。若いんだから好きにしろ。だが相手のタマ取る覚悟もねえのにヤッパは持ち出すな。人の命を奪うってのがどういうことか、その結果どうなるか。ちっとは後先考えてから行動しろ」
当時の俺は二人の関係を知らなかったので、親子かな。なんてぼんやり眺めていたら、ふいに俺のほうにもげんこつが飛んできた。喧嘩以外で大人から殴られたのははじめてだった。
龍哥哥からの説教の内容はだいたい信一といっしょ。ついでに俺には「ヤクはやめとけ」という言葉が付け加えられた。
あれ、なんで俺は知らないおっさんから説教を食らってるんだっけ。少し冷静になった頭で考えて、それから龍哥哥を睨みつける。
すると彼はにやりと笑い、顎で信一をさして、
「こいつの話では喧嘩はお前の負けらしいな」
「は?」
見ると、信一は得意げなムカつく笑みを浮かべていた。ふざけるな。おぼえている限り互角だったし、そもそもヤク切れでふらついていなけりゃ今頃は……そう言って掴みかかろうとした拍子に脇腹が痛んだ。そうだ、目の前のあいつに切られたんだったと思い出して傷口に視線を向けると、そこは包帯で覆われ丁寧に処置されていた。
「このあたりに殺傷沙汰に慣れた医者が多くて良かったな」
それから龍哥哥はもう一度「ヤクはやめとけ」と釘を刺してきた。
ねぐらへ帰る途中。なにもかもどうでもよくなった。負けたことにされた喧嘩もその後の説教も。腹は立ったけど、言い返す言葉は浮かばない。言い返せるほどの何かがある生き方なんてしていない。そんなことは自分が一番わかってた。どうでもいい人生。
どうでもいいならいっそヤクをやめてみるか。ぽん、とシンプルな結論に行き着いた。我ながら単純だ。ヤク中の俺には、それがどれだけ難しいことかわかっちゃいなかったけど。
ヤクが切れると起こる倦怠感、頭痛、吐き気。ここまではまだ良い。さらに時間が経つと体の震えが止まらなくなり、関節が痛みだして眠れなくなった。
死にたくなるような苦しみに耐えながら、ふと、なんで俺はヤクをやめようとしてるんだっけ。こんなしんどい思いしてまでやめる必要ないだろ。そうだ。ヤク抜きをやめよう。と、これまたシンプルな結論に至った。単純だったので。
思い立ったら即行動の俺は、馴染みの売人の元へ直行した。慣れた道を足早に歩く。道すがらヤクで潰れた中毒者を何人も目にした。ありふれた光景。いずれ俺もああなる。どうでもいい。それよりもはやくラクになりたかった。
「おい」
そのとき突然、頭上から声をかけられた。見上げるとそこには龍哥哥がいて。
「頑張ってるみたいじゃないか」
かけられた言葉に、びくりと体が震えた。あまりのばつの悪さに逃げ出したくなる。
たしかにここまで頑張った。日付の感覚はないが五日くらいか。もう十分だろう。限界なんだ。俺は。
「来い。とっておきの叉焼飯を奢ってやる」
ヤクをはじめてから、食事をするのが苦痛だった。においも味もしないし、食欲も湧かない。それなのに何日も食わないでいると身体が動かなくなる。しかたなくテキトーに盗んだものを口に含んでアルコールで喉の奥へと流し込む。家を飛び出してからずっと、俺にとって「食べる」とはそういう行為だった。はずなのに。
トン、と目の前にドンブリが置かれたとき。俺はごくりと唾を飲み込んだ。うまそうな匂いが鼻を通って体に浸みわたる。
うまそう。そう感じた瞬間、箸を掴み、ドンブリの中身を掻っ込んでいた。うまそうがうまいに変わる。匂いがして食欲が湧き、味がした。
「うまいだろう?」
龍哥哥から尋ねられて、返事の代わりに涙が零れた。ポロポロと溢れ続ける涙に喉がしまり、声が出せない。どちらにしろ口いっぱいに飯が詰まっていて、ろくな返事はできやしなかったろうけど。 ヤク漬けに戻ったら、この店の叉焼飯も味がしなくなるんだろうか。
考えたら恐ろしくなって、俺はその日を境にヤクだけはぱったりとやめた。 七記冰室へは、今もときどき通っている。
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